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【レオ・ゴメス】4番サードを任せる事が出来るプエルトリカンは闘将星野監督のイズムを受け継ぎ巨人キラーとしてジャイアンツ戦で驚異的な強さを発揮 史上初のサイクルホームランも期待させた名古屋最強の助っ人

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はレオ・ゴメスを取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=_QcLpB4GTts

1966年、プエルトリコに生まれた本名
レオナルド・ゴメス・ベレスは
高校卒業後の1985年、
ドラフト外でボルチモア・オリオールズに
入団すると
1Aヘイガースタウンで打率3割2分6厘を記録して
カリフォルニアリーグの首位打者を獲得しました。

1990年には3Aロチェスターで
インターナショナルリーグの打点王に輝き
サードの守備でも最多併殺回数を記録するなど
攻守にわたって活躍した同年、
メジャー初昇格を果たしたのち、
1992年は137試合に出場して
打率2割6分5厘、17本塁打、64打点を
記録します。

その活躍に目をつけた中日ドラゴンズは
翌年の新外国人候補としてリストアップ
しましたが、故障した足首の治療が
長引いているとの情報を入手した事から
獲得を見送りしました。

そのままメジャーに残った1994年は、
アメリカンリーグの三塁手として守備率2位となり
1995年までオリオールズのサードとして
球団史上3位となる443試合に出場すると
シカゴ・カブスに移籍した翌年には
136試合に出場して17本塁打の成績を残します。

その年、故郷プエルトリコで開催された
ウィンターリーグにも参加して
打率2割7分、8本塁打、23打点で
ホームランと打点でトップの活躍を見せていた
12月18日、星野監督率いる中日ドラゴンズは
打率3割2厘、29本塁打と安定した力を発揮していた
コールズを足の故障を理由に解雇してまで
4番サードを任せられるゴメスに声を掛けました。

日本行きを快諾した身長183センチ、
体重81キロの助っ人は、1歳でも若く
売り込みたいと実年齢よりもサバを
よんでいましたが、
移籍金1000万円と契約金2000万円、
年俸1億2000万円の1年契約で
海を渡ってきたのです。

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