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キース・カムストックという男

割引あり

1955年、カリフォルニア州サンフランシスコに
生まれたカムストックは1976年、
MLBドラフト5巡目で
カリフォルニア・エンゼルスから
指名を受けて入団するも7年間に渡って
マイナー暮らしを余儀なくされました。

29歳となった1984年、4球団目となる
ミネソタ・ツインズから、ようやく
メジャー初昇格を果たしますが
わずか4試合の登板で防御率8.53という
成績により解雇された矢先、
突然転機が訪れます。

左投手を探していた読売ジャイアンツは
外国人らしからぬ技巧派左腕に
目をつけて声をかけると
すでに家族がありながら薄給の
マイナー暮らしに頭を悩ませていた
カムストックはこのオファーを快諾し
海を渡って来たのでした。

日本でプレー経験がある選手や
関係者から日本流の厳しい練習は
繊細な投球術を身に付けるのに最適だと
聞かされていた身長180センチ、
体重78キロの助っ人は
「これは自分を鍛え直すチャンス」だと捉えて
キャンプから貪欲に取り組んだのです。

グアムと宮崎で行われた春季キャンプに
帯同し、300回を超える腹筋と
外野を永遠に走り続けるハードトレーニングを
他の選手と一緒にこなしながら
「身も心も巨人の選手にならなければ
本当の日本野球は吸収できない。
そして仲間を敬い、自分も仲間から
敬われる選手になるんだ」と誓いをたてました。

マイペースを貫く同僚クロマティに
「やり過ぎだ」と耳打ちされても
その想いが揺らぐ事はなく、必死に
首脳陣にアピールすると、次第に
周りの目が変わり始めたのです。

左投げ両打ちの助っ人が投げる
魔球スクリューボールが
通用すると判断した王監督は
貴重な左の先発としてローテーションの一角を
任せる事を決断、するとその期待に応えて
江川、斎藤、西本に次ぐ8勝をマークしました。

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