マック鈴木という男
世界で戦うために、海を渡ったサムライたち。
今回は、マック鈴木さんを取り上げていきます。
兵庫県神戸市で生まれ、
エンジニアの父親がソフトボールチームに
入っていた影響もあり
小学2年生から地元のボーイズリーグで
野球を始めます。
抜群の運動神経で他にも空手や水泳など
多くのスポーツを経験しますが、
進学先は
野球の強豪校である滝川第二高校を
希望、セレクションを受験し特待生として
合格、入学する事になりました。
しかし高校1年の大晦日、他校の不良達に
因縁をつけられ、弱い者いじめを許せない性格から
1対4の大喧嘩に発展、
4人に大けがを負わせてしまい
自主退学せざるを得ない状況となってしまいます。
転校や社会人野球への入部も考えましたが
もう日本で野球は出来ないのではないかという
絶望感から、人生の目標がなくなり、バイクに乗って
遊びまわる日々。
それを見かねた父親は人間的に成長してこいと
アメリカ行きを勧めたのでした。
その言葉に動かされるように、二ヶ月間アルバイトを
して貯めた6万円を握りしめ
英語も全くしゃべれない16才は単身、海を渡ります。
中学2年生時にサンディエゴで行われた
野村沙知代さん主催の野球練習会に参加した際、
通訳として手伝いに来ていた息子、ダン野村氏と面識があり、
またボーイズリーグ時代の監督が知り合い
だった縁から、
渡米後はダン野村氏が経営している
カリフォルニアリーグ、サリナス・スパーズで
球団職員兼任の練習生として働く事になりました。
球場に寝泊まりしながらスタジアムの清掃や
売店での氷詰め、
ユニフォームの洗濯にバッティングピッチャー、
さらに球拾いまで
月給300ドルでチームの雑務を全てこなす毎日。
安く手に入るフルーツと球場で余った
ホットドッグで飢えをしのぎながら
メジャーリーガーという夢を叶えようと
自分で懸命に英語でメールを書き、
各球団に売り込んでいた矢先、チャンスがやってきます。
最終戦の142試合目、ダン野村氏から、
試合に出るか?と声がかかったのです。
1Aとはいえプロのマウンド。
紙切れ一枚の契約書にサインをするように
求められると、
本名の鈴木誠(すずき まこと)ではなく、
アメリカ人には発音しづらい名前から
チームメイトに呼ばれていたニックネーム
「Mac」とサイン、
2番手として急遽マウンドにあがったのでした。
こんなチャンスが来るとは思ってなかったけど、
いつ声をかけられてもいいように準備だけは
していたので自信はあったとの言葉通り、
投じた初球で球場の空気が一変します。
日本で言えば高校2年生、16歳の投げた
ボールは94マイルを計測し、
1イニング1奪三振、三者凡退に抑えたのでした。
メジャーのスカウトから声がかかりはじめた
翌1993年。ダン野村氏の勧めで
1A(ワンエー)アドバンス、
サンバーナディーノ・スピリッツの
トライアウトを受けて移籍。
4勝12セーブの好成績をあげたその年のオフ、
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