ケン・モッカという男
ペンシルベニア州で生まれたモッカは1972年、
ピッツバーグ大学を卒業後、地元のメジャー球団
パイレーツにドラフト6巡目で指名されて契約すると
1974年9月14日にメジャーデビューを果たしますが
守備が苦手だった事や足も速くなかったことから
レギュラー定着とまではいきませんでした。
その後、モントリオール・エクスポズで
プレーをしていたところ、
1980年、最下位に沈んだ中日ドラゴンズは
強打の助っ人としてモッカに声を掛けます。
しかし、まだメジャーでやりたいからと
この時はオファーを断り、トロント・ブルージェイズと
契約、アメリカに残る道を選びましたが
1981年のオフ、自由契約となってしまいました。
その年も5位と助っ人不足が補強ポイントだった中日は
元メジャーリーガーで中日でプレー経験があり
現在コーチをしていた
ジム・マーシャルに頼って再度アタック、ついに入団に
こぎつけます。
1982年、来日した身長185センチ、88キロの大型内野手は
1か月間、体力作りだけをするキャンプに驚きながらも
絶対にチームの一員になるんだと自分に
言い聞かせ、率先して練習に参加しました。
バケツいっぱいのボールが空になるまで続ける
サムライノックと呼ばれた日本式の練習に積極的に取り組んだ結果
苦手な守備が上達、来日1年目から3番サードに定着すると
広角に打ち分ける中距離ヒッターとして
谷沢健一や宇野勝らと強竜打線を形成、全試合に
出場します。
シーズン通して打率3割1分1厘、23本塁打と
活躍しただけでなく
読売ジャイアンツとの壮絶なデッドヒートとなった
シーズン終盤には、最後まで絶対にあきらめるなと
チームメイトを鼓舞し続けた結果、
前年までの低迷が嘘のように打線は活性化され
リーグ優勝に大きく貢献したのでした。
また成績以上に首脳陣の信頼を厚くさせたのは
誠実で真面目、そして気さくな人柄でした。
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