ジェシー・バーフィールドという男
1959年、アメリカ合衆国イリノイ州に生まれた
バーフィールドはジョリエット中央高等学校を
卒業した1977年、MLBドラフト9巡目で
トロント・ブルージェイズから指名され入団すると
1981年9月3日、シカゴ・ホワイトソックス戦で
メジャーデビューを果たしました。
翌1982年には18本塁打、
1983年には27本塁打に68打点と
才能の片鱗を見せて迎えた1985年は
飛躍の年となります。
打率2割8分9厘、27本塁打、84打点のほか、
22盗塁も成し遂げる好成績で
球団創設以来初の地区優勝に貢献すると
翌年はさらに大爆発、
オールスターゲームに初選出されるなど
一流への階段を駆け上がり、最終的に
打率2割8分9厘、40本塁打、108打点の成績を残して
本塁打王とシルバースラッガー賞に輝いたほか、
アメリカンリーグNo. 1の強肩にして
ボストンの至宝、
ドワイト・エバンスに匹敵すると称された肩を武器に
ゴールドグラブ賞も受賞しました。
同時期に活躍した
ジョージ・ベル、ロイド・モスビーと共に
ブルージェイズ最高の外野トリオを形成したのち、
移籍したニューヨーク・ヤンキースで
通算200本塁打を達成しますが、
その後は故障にも悩まされ、1992年のシーズンオフ、
FA権を取得したものの、契約する球団が現れず
引退かと囁かれ始めたのです。
ちょうどその頃、前年に入団した
ロイド・モスビーの相棒を探していた
読売ジャイアンツは、長嶋監督の友人で
デトロイト・タイガースの指揮官
スパーキー氏から「手首さえ問題無ければ
彼はかなり期待できる」と太鼓判を押された事に
加えて
日米野球のアメリカ代表として来日した選手の
中で最高の打率4割5分、4本塁打を記録していた
メジャー通算241発の大砲に白羽の矢を立てて
交渉を開始しました。
2度の来日経験がある33歳の若者は
再び、モスビーと最高の外野陣を
形成できると日本行きを決断すると
年俸170万ドルの契約を受け入れて
海を渡ってきたのです。
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