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グリーンウェルという男

割引あり

1963年、アメリカ合衆国ケンタッキー州で生まれた
マイケル・ルイス・グリーンウェルは
北フォートメイヤース高校卒業後、MLBドラフト3巡目で
ボストン・レッドソックスから指名され、入団すると
1985年にメジャーデビュー、
2年後にはレフトのレギュラーに定着するまでになります。

本拠地フェンウェイパークの名物、
グリーンモンスターを背に守るレフトという守備位置は
ボストン・レッドソックスの選手にとって
大変誇らしいものでした。

MLB史上最高のレフトと称された4割バッター
テッド・ウィリアムズ、
ミゲル・カブレラが獲得するまで
45年間三冠王は現れなかった事から
最後の三冠王と呼ばれていた
カール・ヤストレムスキー、
レッドソックスの永久欠番、
背番号「14」ジム・ライスなど
錚々たる顔ぶれに名を連ねたグリーンウェルも
ミスターレッドソックスと呼ばれるほどの
名選手となっていきます。

1988年には打率3割2分5里、22本塁打(ほんるいだ)、119打点の活躍で
シルバースラッガー賞を受賞、さらに
ア・リーグMVP投票では
史上初の「40本塁打40盗塁」を達成した
オークランドアスレチックス、ホセ・カンセコに
次いで2位となりました。

後にステロイド使用が発覚したカンセコの
MVP受賞に疑問符がつき
グリーンウェル自身も
「奴のせいでMVPになれなかった」との言葉を
残した事を考えると、1位になっていた可能性も
捨てきれないほど。

その後もレッドソックス一筋12年、
通算打率3割3厘、130本塁打、726打点と
輝かしい成績を残し続けた1996年のオフ、370万ドルという
高額な年俸(ねんぽう)がネックとなり、
事実上の契約破棄状態となった事から
グリーンウェルの代理人ジョー・スローバーは
近鉄や西武、阪神など日本の球団に売り込みを
開始しました。

ちょうどその頃、助っ人が機能せず、2年連続最下位とチームの
立て直しを迫られていた阪神タイガースは
4番を任せる事が出来るチームの柱が欲しいと
清原や広沢の獲得に乗り出すも失敗、頭を悩ませます。

そこに三振が少なく本塁打も打てる
レッドソックスの大物が
売り込みをかけているという情報を入手、
年齢も33歳と脂が乗っていて
大きな故障もないと聞いた事から交渉を開始しました。

1年ほど前、MLB通算220本塁打の大砲という
うたい文句で
福岡ダイエーホークス入りしたケビン・ミッチェルが
年俸4億円の支払いをめぐるトラブルを起こし、
わずか37試合に出場しただけで
無断帰国した際の代理人も
ジョー・スローバーだった事から阪神のフロントは
警戒しましたが、
10年以上メジャーリーグの名門チームで
主軸をはった実績と大砲の補強が急務と
なっていた事情も相まって
契約金を含めて300万ドルとも
言われる大型契約を結んだのでした。

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