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ゲーリー・レーシッチという男

割引あり

1954年、アメリカ合衆国オハイオ州に生まれた
ゲーリーはアリゾナ州立大学を卒業した
1976年、MLBドラフト11巡目で
ヒューストン・アストロズから指名されて
入団すると、1981年に移籍した
ニューヨーク・メッツでメジャーデビューを
飾りました。

しかしながら当時のメッツには
のちに永久欠番となるキース・ヘルナンデスが
いた事から、デービー・ジョンソン監督は
「キースがいるから出番はないが優秀だ」と
実力は評価していたものの、
レギュラー定着とはならずに
1984年にセントルイス・カージナルスに移ります。

カージナルス傘下の3Aルイビルで
29本塁打を放つ活躍をみせた
翌1985年、サンフランシスコ・ジャイアンツに
トレードされると少しづつ
運命の歯車が動き出しました。

この年、名古屋のファンに愛されながらも
年齢的な衰えもあり引退を表明していた
ケン・モッカ退団に伴って、代わりとなる助っ人を
探していた中日ドラゴンズは
身長184センチ、体重95キロの左打者に
声をかけたのです。

ゲーリー自身、31歳となり、大リーグで
わずか3本塁打と行き詰まりを感じていた事から
野球で稼ぐなら日本で活躍するしかないと
年俸3500万円で契約、
最後のチャンスを求めて海を渡ってきたのでした。

超優等生ケン・モッカの後釜とあって
少しでも打てない日が続くと
ポンコツ外人呼ばわりされるキツイ環境の中、
5月に入り、日本の野球に慣れてくると本領発揮、
2日連続の1試合2ホーマーや
「彼の速球は大リーグでもトップに入るね」と評していた
広島の守護神、津田やヤクルトの尾花から
サヨナラアーチを放つなど派手な活躍を見せたのです。

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