ジム・パチョレックという男
1960年、デトロイトで生まれたパチョレックは
恵まれた体格と運動神経でアメリカンフットボールの選手として
ミシガン大学で奨学金をもらいながらレギュラーを務めていましたが
同時に野球でも頭角を現すと、日米野球のアメリカ代表として来日、
4番を任されました。
1981年、MLBドラフトでクリーブランド・インディアンスから
指名を受けますがこの時は拒否して迎えた翌1982年、
今度は8巡目でミルウォーキー・ブルワーズから指名され契約、
2Aエルパソ・ディアブロス、
3Aバンクーバー・カナディアンズで活躍したのち
1987年、メジャーに昇格すると、一塁手や三塁手、ときにはレフトも
守るなど48試合に出場します。
右方向へ逆らわない打撃を得意とした右の好打者に
横浜の名スカウト牛込氏(うしごめし)は目をつけ
その年のオフ、声をかけると
「若いからいろいろなことを経験してみたい、
それに日本のほうが条件も良いし
大学時代にも訪れたことがあるから」と乗り気になり
1988年、28歳の若さで横浜大洋ホエールズに入団、
海を渡ってきたのでした。
登録名をジェームス・パチョレックとして
挑んだキャンプではボールがバットの芯に当たらず、
古葉監督から「使いものにならん」と散々な評価を受け、
真面目な助っ人は、食事が喉を通らず、
ノイローゼにもなりましたが、
シーズン開幕の中日戦、第1打席でいきなり
本塁打を放った事から本来の調子を取り戻すと
4番ポンセの後を打つ5番打者として活躍、
長打力よりは確実性を重視したバッティングで
打率3割3分2厘、安打数はリーグトップの165安打の
好成績を上げ、ベストナインにも選ばれました。
2年目も打率3割3分3厘と確実性のある打撃だけでなく
捕球技術が素晴らしいと言われたファーストの堅実な
守備も兼ね備えていて、パッキーの愛称で
横浜ファンの人気者となります。
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