チバユウスケ追悼行脚の記録②2024/1/19献花の会
献花会のことは、当時多くの人が書き残していたし今さら深くふれることでもないのだが、会場に入り進んでいくにつれて自分でも引くほどに泣きじゃくったのは覚えている。1時間の尺の中、献花の順番が終わっても会場後方で流れ続けるチバの楽曲たちを聞きながら祭壇を見つめ続けた。とてつもなく可愛くてかっこいい赤い祭壇を目にしながらこのとき聞いた「ひかり」は忘れられない。
「涙がさダイヤなら、俺はきっと今頃大金持ちさ、そうだろう」
目を剥くように美しくて切ない歌詞。本当に好きだ。この先、冬がはじまる頃にピンクのガーベラを飾って、ビールを飲みながらこの曲を聞こうと思う。
余談だが、この日チバをしのぶ人たちが各所でバドワイザーを飲み荒らしていたらしいが、私はチバが飲んでいたビールというとハイネケンの印象が強い。献花が終わった後、ゼップダイバーシティまわりの公園のベンチに座り、現地入りする前に仕込んできたハイネケンを一人でプシュッと開けた。冬ではあったが、しばらく持ち歩いたこともありぬるくなっていておいしくなかった。これがバドワイザーだったらもっと悲惨だっただろう。うっすいビールは嫌いだ。
これからの回に入場する黒い人たちの行列を遠目に眺めながらぬるいハイネケンを飲んでいると、赤ワインの瓶を手に持ちながら近くのベンチで同じく一人で飲んでいたおにいさんが寄ってきた。そして、なんでバドワイザーじゃなくてハイネケンなの?と聞かれた。ヤバい、コレって…にわかと思われるってコトォ!?と一瞬怯んだりしたが、こちとら中2のときにチバに恋した20年(弱)選手くらいなもんでな!と思って、「なんか個人的にはハイネケンのイメージが強いんですよねー」とかわすと彼は笑った。本州の端っこから来ていた偶然にも同い年の革ジャンのお兄さんは夜に差し掛かる回のチケットを持っているらしいが、昼からずっとここで飲んでいるという。奇跡的にこの記事を読んでくれたとして覚えてないだろうなと思うくらい同じ話を繰り返していたが、一緒に献杯してくれる人がいて嬉しかった。
献花の会が終わってからも、心の穴を埋めるために追悼企画っぽいものは追った。フジテレビNEXTで追悼番組「THANK YOU YUSUKE CHIBA,I LOVE YOU BABY」が4日間夜から早朝まで垂れ流されたときは、録画ができないのにわざわざ契約した意地で、酒を飲みギリギリレベルに意識を保ちながら朝を迎え、泣きながらTwitterに溢れだす思いを書きなぐってから寝落ちし、翌朝通常通りサラリーマン暮らしに戻って出勤してはまた夜を迎え…というかなりストロングな日々を過ごした。FACTORYよく見てたなあ、BLACKLIST001 に行ってファッションスナップを撮られて、一瞬で無くなった宝島社の雑誌に載ったよなあ、ミッシェルとブランキーの面々が焚火トークしてるやつ録画して繰り返し見たよなあとか、エモすぎる映像たちが録画する術を知らないおばさんの生活を乱しに乱し、体を蝕んだ。
この頃各所の映画館でリバイバル上映されていた「THEE MOVIE」も何度か見に行った。支配人らしき人がめちゃくちゃ熱いオープニング&エンディングトークをぶちかましていた池袋の新文芸坐の爆音スタンディング上映のときは、「アルコールも用意してますから、ライブハウスの気分でフラッと買いに出たりしてくれよな!」という気持ちを買わせてもらわねばならぬ!と、買い足しに行ったレモンサワーが当たり前のようにロング缶で出てきて、すでに持ち込んでいたパックワインでいい感じだった私の、終盤の記憶はファンタジーだった。
チバの軌跡に触れては涙し、酒に溺れる、というのを繰り返していたこの頃。振り返ってみれば、人の追悼をしている場合じゃないと思うくらい不健康だがまだまだ追悼行脚は旅にも出ていない段階。この後目指したのは、14年ぶりの参加となったアラバキロックフェスだ。