ジャニヲタ卒業の話。

4月6日、やっと踏ん切りがついたんだ。ジャニヲタ卒業しようと思う。

ジャニーズを知ったことは自分の中でとても大きいことだった。初めて「ヲタク」になるくらい好きになったアイドル達。思い出もたくさんある。

中学2年生のとき、クラスに友達がいなかった。とてもつまらなくて部活のためだけに学校に通っていた。その楽しくない生活を変えてくれたのがジャニーズだった。

2012年の夏。警察学校のドラマがたまたまついていた。そこで、北山くんと藤ヶ谷くんを知って、キスマイにはまった。ジャニヲタって名乗るのが恥ずかしくて部活以外ではかなり隠しながら生活していたと思う。このころはジャニーズ雑誌があることも知らず、ひたすらテレビ雑誌に数ページ写っているキスマイを探していた。舞祭組の結成よりも前で、横尾くんの担当をしていた私は、音楽番組で北山くん藤ヶ谷くん玉森くんの後ろに映る横尾くんを必死に探していた。

2013年の1月、キスマイが「ザ少年倶楽部」という番組にゲスト出演すると知って録画した。少クラがジャニーズの番組だとも知らずに見た。ジャニーズジュニアがあんなに人数がいてアクティブな活動をしていることを知った。

1月16日の少クラで、当時バカレア組と呼ばれていた6人が歌っていた。京本くんがいた。目を離せなくて、録画を何回も何回も見返していた。それが僕がジュニアヲタクになった瞬間だった。

そこから京本くんのことを検索しまくって、安井くんや高田くんなどと活動していた「京本ライン」のことを知った。個人的にはバカレア組よりしっくりきてとても気に入った。京安というシンメにどっぷりとはまった。当時はまだ京本ラインのメンバーがほとんどいたので、またいつかあのメンバーで動いて、KAT-TUNのPerfectを歌ってくれるんじゃないかと期待した。

2013年の1年間でジャニーズの仕組みや歴史、グループなどを吸収しまくっていった(受験勉強も少しだけしながら)。

そして2013年の大晦日から2014年にかけてのジャニーズカウントダウンコンサート。「ジャニーズWEST4」の発表。当時の僕の関西ジュニアに関する知識は、B.A.Dや7WEST、KinKanなどのことを知っているくらいだったが、それでもとても落ち込んだし藤井くん神山くん濱田くんのことが心配になった。これがジャニーズにあると言われるジュニア内グループから数人ずつを合わせてデビューさせるやつか、と思い知らされた気分だった。

その、自分の担当のことでないにしろ少し気分の落ち込んだ中僕はとりあえず併願校の私立受験を終わらせ、志望校に向けて少しずつ勉強を始めた。

2月、クラスのジャニヲタの子が黒板で力説しているのを見て、ジャニーズWESTが7人になったことを知って心からほっとし、とてもうれしい気持ちで受験と卒業式を終えた。

2014年4月。高校生になった僕は、入部した部活で仲良くなった子に、同中でこの部活入った子もジャニーズ好きだから話してみたら?と言われ話すことに。その子はジャニストのファンで神山くんの担当をしていた。関東ジュニアのこともたくさん知っていたその子と毎日のようにジャニーズのことを話すようになった。

2015年、高2の夏休みにその子の家へ泊りに行くことになった。そこで夜な夜なジャニストのコンサートを見て、さらに関西ジャニーズジュニアもたくさん教えてもらった。そこで当時「ギャン末」と呼ばれていた8人を知った。僕は姐さんと呼ばれていた朝田淳弥くんの担当になることにした。

その後、ギャン末8人は、屋良くんによって中山優馬くんのコンサートのバックダンサーに選ばれ、「Funky8」と呼ばれるようになった。僕は完全受注生産だった優馬くんのコンサートDVDを買い、何度も見て、気に入った場所を全てメモして友達と共有したりした。

2017年1月5日。友達が誘ってくれたのでジャニーズWESTのコンサートに行くことにした。僕にとって人生初のコンサートだったのでとても緊張した。当時の心境で簡単に感想を述べると「藤井流星YABAIZO」だ。生まれて初めて生で、エロいと思う人間を見た。これがコンサートか、、、と感動した。

同年1月8日。この日は関西ジャニーズジュニアの番組、「まいど!ジャーニィ~」の正月運動会の放送だった。その運動会では石澤晴太郎くんがMVPに選ばれ「プチトマトォォ!」という一発ギャグ(文字にするのは難しい)を披露した。そこで僕はハマった。石澤晴太郎くんの担当になった。最初は京本くん、朝田くん、石澤くんの掛け持ちで行く気だった。しかし、比重がどんどん石澤くんのほうへ行き、ジャニヲタ生活の最後の方は99%石澤くんのみの担当をしていた。

実は2016年の夏ごろから少しずつKPOPアイドルにもはまり始めていた。そして高校卒業後に行った専門学校で完全なるKPOPヲタクと友達になりそっちにのめりこんでしまった。

ジャニーズの方針が悪いなどと批判する気はない。ただ、韓国アイドルのプロモーションの仕方はジャニーズの何倍も近代的だった。当時のジャニーズはまだSNSなどでの顔写真も禁止だったが、韓国アイドルは自分たちのTwitterアカウントやインスタグラムがあり、毎日のように写真とメッセージが来て、マスターニムと呼ばれる方たちが写真を撮ってSNSで共有されていた。
1ページ写ってるかどうかの雑誌と何十人でひとくくりにされたジャニーズジュニア、関西ジャニーズジュニアとしてのウェブページしか情報がなかったジュニアヲタクを数年やってきた僕には信じられない世界だった。そして、どっぷりとはまった。
正直それだけが理由ではない。僕の担当の石澤くんは受験のために2年間ジュニアとしての仕事をストップさせていたので、情報が0だったのだ。そんなヲタクとしては割と暇なときにその情報量の楽しい界隈を知ってしまったらもう駄目だったのだ。我慢がきかなかった。

そして今年、2019年3月。石澤くんはうまくいっていれば彼の受験期を終えて帰ってくるはずとわくわくしていた。彼の名前が出た。とても嬉しくて、いま日本にいない僕は行けないけれど、また、帰ったら見に行けるんだと思った。
しかし今月、4月に入って朝田くん、戸田くん、そして石澤くん(ほかにもいらっしゃったら申し訳ない)の名前が消えた。
ジュニアヲタクあるあるだが、辞めたのかの公式発表がないから何も分からない。というのが今の状況だ。

しかし、この「京本ライン」の復活もありえなく、「Funky8」がバラバラになり、石澤くんがどうなるかも分からないこの状況で、もう僕の中でジャニーズへの希望のようなものがなくなってしまった。追い続けようと思えなくなってしまった。

いつかジャニヲタに出戻りするかもしれない。先のことはなにも分からない。
でも一旦ここで僕のなかでジャニヲタの区切りをつけようと思う。

ありがとう。ジャニーズに出会えて毎日、毎週希望を持つことが出来た。ジャニーズがきっかけで友達を作ることもできた。全く理解できなかったヲタクというものが分かるようになった。頑張ってるアイドルを見て、僕も頑張らないとと元気を奮い立たせることもできた。

本当に僕の中学時代高校時代はジャニーズとともにあった。楽しかった。
ありがとう。また、いつか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?