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ブロードウェイミュージカル「IN THE HEIGHTS イン・ザ・ハイツ」 観劇 2024-10-06

ブロードウェイミュージカル「IN THE HEIGHTS イン・ザ・ハイツ」 を観劇した。2024-10-06 銀河劇場。東京公演千穐楽。

映画版は既に観たことがある。Hamiltonを先に知ってその流れで。舞台はこれが初めて。

映画を観て思っていたこと

Hamilton: An American Musical は、アメリカの歴史についての教養があって、さらにアメリカの文化に触れて育った人でないと理解が難しい、つまりブロードウェイの高いチケットを買って観にいける裕福層向けの内容、と思っているが、In The Heightsはもっと親しみやすい題材だと思う。

移民や人種を題材にした現代的なストーリーは、RENTや(古いけれど)West Side Storyと似たところがある。この前のRENTの公演プログラムではIn The HeightsがRENTに影響を受けていることが示唆されている。
他のミュージカルと大きく異なるところというと、やはり音楽的な部分だろう。陽気なヒップホップはバックグラウンドに根付いた問題をそれほど辛気臭く感じさせないようになっている。

明確に悪い立場の人が特に出てこないのも特徴だろうか。移民はあくまで前提にすぎず、その上でワシントンハイツで生きる人たちが描かれる。

リズムとメロディとハーモニーと歌詞

もともと自分は歌声も音色やメロディラインの一つと捉えているせいか、普段聴く楽曲の歌詞を聴いていない。観劇しているのにあるまじきことだが、せいぜいミュージカルを観ている最中に集中して聴きとろうとしてなんとか聴きとれるくらいだ。
それでも今回はラップになると、残念ながら日本語でも殆ど何を言っているのか聴きとることができなかった。リズムとかグルーヴは感じることができて思わず体をゆすりたくなってくるのだけれど。
でもこれは英語話者だったとしても、英語のラップを完全に聴きとることは難しいんじゃないかと思っている。

音楽と日本語と英語とスペイン語

ヒップホップやラップ、ミュージカル楽曲に限らず今まで誰しも散々言われていることだが、日本語は英語やラテン語由来の言語と異なる要素が多すぎて、歌に対訳をあてはめようとするとかなり無理がある。
日本語での上演を観ようと思うにあたって、この違いが致命的な違和感にならないか懸念していたところがある。

In The Heightsでは訳者の尽力の賜物で、うまく訳されているほうだと思う。音の響きや韻、情報量のため部分的に英語やスペイン語が残されていることがある。お陰で日本語にあてはめただけの不自然なラップだと感じることは無かったんだけれど、このことが自分にとってこれが仇となってしまっていることもあった。

これは自分だけなのかどうか分からないけれど、言語を扱うときに日本語を聞いて喋るモードのときと英語を聴いて喋るモードというのが頭の中で別の感覚として存在していて、それら行き来するためにスイッチを切り替えるためのわずかな時間が必要になる(スペイン語は全く知らないよ)。
頭が日本語モードのときに不意に英語の歌詞が出てくると、今なんて言ったの?となって英語モードに切り替えようと頭が働くし、英語モードのときにその逆も起こってしまう。おかげで余計になにを言っていたのか把握しにくくなってしまっていた。
日本のポップスもそんな感じで日本語と英語が入り混じっているじゃないかと思うかもしれないが、そういう曲を自分は聴かない。

ダンスとアンサンブル

楽曲は周知のとおりの斬新さがあるが、それに合わせて踊るダンスも当然と言えば当然ヒップホップなのだ。映画で観ていたのに、舞台で観てみるまでなぜかそうとは思っていなかった。
実にエネルギーに満ちていて新鮮だった。オリジナルが初めて披露されたときは衝撃的だったんじゃないかと想像する。
アンサンブルの人達が一斉に出てきて踊ると、彼らは専業のダンサーなんじゃないかというようなキレのある踊りをされていて感心した。個人的には、秋野祐香さんが華があって良かった。

静かなシーンでも、暗がりで心情を表すかのようにコンテンポラリーダンス(?)を舞うのはHamiltonに通じそうだ。

映画版との相違

受ける印象が異なる違いは以下の二つではなかろうか。

ニーナとベニーの扱い

ウスナビとヴァネッサの関係よりも、ニーナとベニーの方が比率が多いんじゃないかというくらい扱いが大きい。
映画版では二人は重要そうなんだけれど、主役のような扱いをされるわけでもなく部分的にだけ扱いが大きいので、結局この人たちどういう立ち位置だったの?と思っていたので、舞台では納得できるところがあった。
ニーナは一度町の外に出て行ったもののドロップアウトして帰ってくる人物なので重要な扱いなのだと思うし、ベニーは人種は異なるが育ちが同じということでこちらも重要だろう(日本人キャストだと実感しにくいところだが)。

結末への転じ方

映画では、お金が動くタイミングでなんやかんやあってストーリーも大きく動くんだけれど、舞台だと、アブエラの死をきっかけにそれぞれが未来を再考するようになって動きだすのが大きな違いだなと思った。
偶然もあってドラマチックなのは映画版なんだけれど、ストーリーとして好きなのは舞台版だと思う。
ただし、演出の問題なのかなにかはよく分からないが、ウスナビが心変わりするときの心情がよく分からなくて唐突感があった。ヴァネッサはあんまり良いところなしなのが惜しい。

Hamilton 来日公演希望

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