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真夜中の車列

 私は、10年以上前、短い間ではあるが警備員をやっていたことがある。警備員というとどんな業務を想像するだろう。夜間、ビルの各フロアーを巡回する、そんな業務だろうか。いかにも怪異現象に遭遇しそうな状況であるが、残念ながら私が経験したのはそれではない。交通誘導および雑踏の警備。警備業法の第二条第二号に該当するので〈二号警備〉とも言われる業務である。すなわち、人や車両の混雑する場所で安全な通行を確保する業務だ。
 特に多かったのは道路工事の現場だ。工事によって道路が塞がっているときに迂回を促したり、片側交互通行を誘導したりする仕事である。他には駐車場での車両誘導や大規模なイベントでの来場者誘導など色々な現場を経験した。

 私の経験はこのくらいにして、元警備員のNさんから聞いた不思議な話をご紹介しよう。

 その日は、久しぶりの夜勤の現場だったそうだ。工事のほとんどは昼間に行われる。だが、交通量の多い道路では工事による渋滞の影響が大きいため、夜に工事をすることも多い。
 その現場は片側一車線の国道で、昼間はそれなりに交通量が多いが夜になるとさほど車は通らない道路だったようだ。
 二人組での片側交互通行。もう一人、補助的な役割兼休憩時の交代要員の三人組だった。
 片側交互通行について説明しておこう。工事で一車線を潰したとすると、残りの一車線で双方向で車を通さなければいけない。同時に通すとぶつかってしまうので、今はこっち方向、次は逆方向といった形で交互に通行させる仕組みだ。〈片交かたこう〉と略すことも多い。警備員はその区間の入口と出口に立って、入ってくる車両を待たせたり通行を促したりと、相方と連絡を取り合ってやり繰りをする。
 通常は誘導棒を使って「そっちの侵入を止めて」とか「こっち止めたからそっちから流していいよ」とか、そういった意味で合図を送り合う。
 だが、Nさんのその日の現場は違った。距離がある上にカーブがあって相手が全く見えないため、無線でやり取りをしていたという。
 工事が始まった9時頃はまだまだ交通量が多かったので緊張して車両を捌いていた。次第に交通は少なくなり、0時を回るとたまにしか通らなくなっていた。久々の夜勤で昼間も寝つかれず睡眠を充分に取れなかったNさんは次第に眠くなってくる。必死になって睡魔と戦いながら誘導する時間が続いた。
 ハッと目を覚ましたのは何かが通り過ぎた気配でだった。振り返ると赤いテールランプが遠ざかっていく。慌てて無線で通話する。
「すいません、そっちに1台向かいました。ナンバーは読めなかったです」
「了解。ちゃんと見ててよ」
「すいません」
 幸い、向こうから入ってくる車はなかったようだ。
 20秒ほど経ったろうか。無線が入ってきた。
「おい、止めてくれ」
「えっ?」
「10台以上続いてるだろ。こっちでも一台待ってる。一旦止めてくれ」
「いや、こっちは流してないですけど……。えっと……了解です」
 とりあえず指示に従ったが、実のところ相方の言っていることはよく分からなかった。こちらからの車両が何台も連なっていたという。途中に脇道はあるが、看板を立てているため、そこから流入することはないはずだ。もしかするとNさんが見たテールランプは行列の最後だったのか。いや、咄嗟のこととは言え、1台しか見えなかった。そもそもこの時間に10台以上連なるなんてあるのだろうか。眠気のせいで頭がボケていて聴き間違えたのかもしれない。
 しばらく無線連絡がなかったので、こちらから話してみた。
「結局何台通りました? こっちは1台しか通してないと思うんですけど」
「いや……いいんだ」
 相方はそれきり黙ってしまったという。

 一時間の休憩のあと、今度は反対側に立つことになった。先ほどの件でしっかり目が覚めたうえ、更にコンビニで買ったドリンク剤の効き目もあって、眠くなることもなかった。
 3時をまわった。最も通行が少ない時間帯で、たまにしか車は通らない。両方向から同時に来ることもほとんどなく、誘導の必要もないほどである。まったく通らない時間が5分以上続いた。
 相方から無線が入った。
「1台来たけど、通していいか」
 ちらりと横を見て侵入する車がないことを確認する。
「はい、オッケーです」
 ヘッドライトが近づいてくる。誘導棒をクルクル回す。このまま通行して下さいのサインだ。車体が通り過ぎる。静まり返った真夜中。思った以上にエンジン音が響くなと思いながら見送る。
 と、向き直ってNさんは驚いた。もう1台、いや、何台も連なってこちらに迫っている。とりあえず一旦止めてもらおうと無線機に手を掛けてハッと思った。これは休憩前に相方が止めてくれと言っていたのと同じではないか。
 気になったが、とにかくこの車列を捌かなければいけない。
 誘導棒を振って進行を促す。
 1台目。
 ――おや、と思った。〈気配〉がないのである。やけに静かだ。EV車などなかった頃だ。先ほどの車のようにエンジン音が聞こえるだろうと思った。だが、音もなくススーっと滑るように通り過ぎて行く。後に続く車もそうだ。
 何なのだ、この車たちは。誰が運転しているのか。気になって腰を低くして覗き込むようにする。
 えっ⁉︎
 運転席の人がうつむいている。居眠りならば危険だ。視線は車を追ったが、どうすることも出来ず、そのまま見送った。
 事故らなければいいが――
 2台目。
 えっ!?――運転手が眼を見開いている。口も大きく開いている。顔も身体も固まったまま静かに流れて行く。これは一体なんだ。
 3台目。助手席にも人が乗っている。助手席の人を見ると――
「うわっ!」
 頭から血を流している。これは生きた人間ではないと、思わず誘導棒を持った手で視界を遮る。
 と、プププーっとクラクションが鳴る。そちらを見ると侵入しようと待機している車がいた。
「何やってんだ、早くしろ!」と怒鳴る。だが、こちらの流れがある以上しようがないじゃないか。そう思いながら車列に視線を戻した。
 ――いなかった。何台も連なっていた車は1台も見えない。過ぎ去るテールランプも見えない。静寂が――先程とは違う真っ更な静けさがあった。
 その静寂を破ってクラクションがふたたび鳴る。Nさんは慌てて停止の合図を出して無線機のボタンを押した。
「1台通します」
「オッケー」
 誘導棒を進行方向に振って、待機していた車の侵入を促す。エンジン音に怒りを乗せて通り過ぎて行く。ホッとして額の汗を拭ったが、胸はしばらくの間ドキドキしていた。

 空が白み、陽が昇り、その夜の勤務は終わった。
 勤務が終わると工事の責任者にサインを貰うことになっている。他の警備員とともに責任者の前に集まる。
 その間も私は不穏な車列のことを考えていた。私だけが体験したのだろうか。他の誰かにも共感してほしい。そんな思いで休憩前の相方に訊いてみた。すると返ってきたのは、
「え? あれは途中から入って来たんだよ。侵入禁止の看板立て忘れててさ、後からちゃんと立てたよ」というそっけない言葉。
 なんだと思ったがそれでも納得がいかず、サインを貰うときに責任者にも訊いてみた。
 勤務中にこれこれこんなことがあったのだが以前にもなかったかと。
「ああ、俺は体験したことないけどそういうの何度かあったみたいだね。ただね、車が通れるだけの幅の穴は掘ってないんだけどね」
 と、責任者はにやけた顔で言った。最後は何を言ってるか分からなかった。ただ、やっぱり見たのは自分だけじゃなかったんだと何故かほっとしたという。

 バイクで帰路に着きながらもNさんは不気味な車列のことを考えていたが、家に近づくにつれ、さっきとは違う思いがよぎった。やはりあれは寝ぼけまなこで見た幻だったのではないいか。工事責任者はからかっていたのではないか。こんなことは他人に話しても馬鹿にされるだけだ。忘れよう。そう思ってずっと封印していたそうだ。

 十年ぶりに思い出しながら私に話してくれたNさんは最後に、
「今思うと、やっぱりあれは寝ぼけていたんじゃない。たしかにあれは実際にあった」
 そう言って、熱い息を吐いた。

――了――

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