いきる
そいつが姿を見せるようになったのは三ヶ月ほど前だろうか。ワンルームの我が家、仕事の帰り道、エレベーター、電車の窓、あらゆる所に現れては険しい顔で何かを叫んでいた。
叫んでいるといっても声は聞こえず、何を言っているのかも分からない。表情から(ああ叫んでいるんだな)と思ったに過ぎない。煩くもないので気にせず放っておいた。
それが、しばらくすると口の動きから言葉が推測できるようになった。
「俺は生きている!」
そう言っているようだった。おそらくそれしか言っていなかった。
「いや、お前はたぶん死んでるよ」
独り言のようにそう返した。どうでもよかった。他人のことはどうでもいい。生きていようが死んでいようが興味がない。自分自身のことすらどうでもいいのだから。
一週間経ってもそいつはただそれだけを繰り返していた。
「そうか、お前は死んでるけど生きてるのか。俺は生きてるけど死んでるよ」
こちらも時々独り言を返す。
二ヶ月経ったらそいつの声が聞こえるようになった。耳からではなく、頭に直接入ってくるようだった。相変わらず「俺は生きている!」と叫んでいる。
向こうの声が聴こえたならばこちらの言葉も届くのではないか。そう思って窓の向こうのそいつに「お前は死んでるんだよ」と投げかけてみた。すると、
「それでも俺は生きている!」と、違う文言が返ってきた。
ああ、届いたんだ。そう思ってほっとした。ほっとするなんてずいぶん久しぶりかもしれない。
「そんなに熱くなるなよ」
「だって俺は生きている!」
「お前、きっと血管切れて死んだんだろ」
「よくわからないが、急に倒れたらしい」
「やっぱりな。もっと力抜いて生きりゃあ良かったんだよ」
「だけどそうやって俺は生きてきた!」
「死んだんだから力抜いたっていいんだよ」
「そうなのか!」
「そうだよ。試しに抜いてみろよ」
「そうか、やってみる!」
そう言ってそいつはスッと窓から消えた。
それ以来、奴はピタリと姿を見せなくなった。死んでしまったのかもしれない。成仏といえば聞こえはいいが、せっかく生きていたのにホントに死んでしまったのだろうか。そうだと思うしかなかった。どうやら奴は熱ることでしか生きられなかったらしい。それをやめたら生きる意味がなくなってしまったのだろう。俺が殺したのか。そう考えると少し胸が痛んだ。
窓を見ると死んだ眼をした男が映っている。
「俺は生きている」
そう言ってみたが照れ臭くなってすぐに顔を逸らした。それからふたたび窓を見て奴の表情を真似てみた。
「これは顔が疲れるよ」
そう呟きながら、もう少しだけ熱く、もう少しだけ長く生きてみようかなと思った。
―― 了 ――
(この話はフィクションです)
朗読動画
2024年5月12日 三好一平の怖い話チャンネル「御前田次郎さんコラボ」より