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人外の練度

レッスンの一コマ。

夢中になればなるほど、
真剣に挑めば挑むほど
悩みがつきません。

どうしてもギターの(他のことも)
上達には段階があり、
すっとばしてはいけない何かがあります。
(ごく稀に例外ありですが)

基礎からはじめて
紆余曲折、
そして基礎に戻り
それからまたどこかへ向かう。

個人的にこんなことの繰り返しのような、、。

そして、そのつど現れる壁!

垣根涼介さんの『室町無頼』では、
際(きわ)と書かれていました。

とても面白かったので
少しかいつまんでご紹介させてください。

(ごめんなさい、以下、ネタバレ?あります)




かなりできる弟子(10代)と師匠(老人)の、
棒術修行の一幕。

不安定な足場で動く的(釘)を棒で打つ。
上り調子の弟子は、当てる確率
三割近くで伸び悩んできました。

師匠の言葉

「三割より上が壁になる。
常に三割以上を当てるようになれば、俗にいう達人の域。
ぬしでもあと一年はかかろう。

常に三割を越せるようになれば
三割二分、三分までは、また一年ほど。

だが三割五分に近づいてくると、
またじりじりとしか割合が上がらぬ。
また壁がある。

その壁を越えるには、
さらなる天稟があったとしても
そこから5年はかかる。
これがいわゆる人外の域じゃ』

そこで弟子が恐る恐る

『では、お師匠の四割に達するには
あといかほど?』

師匠
『わしの歳までよ』!?

『三割九分を越えると
いくら修練を積んでも、
まったく上がらなくなる。

四割の壁じゃ。

わしの場合、それを越えるのに20年かかった。

さすがにその頃になると体力も気魄も衰えてくる。
そのまま四割前後を彷徨う。

四割より上は、神の領域なのじゃ。
無粋にもそこに人が踏み込んでくることを、
天はなかなかお許しにならぬ。

わしもその際まではきた。
じゃが、残されておる時は短い。
今生ではここで終わりじゃろう』

『世間から見れば徒労の、不毛な歳月だったかも知れぬ。
が、わしはこれで満足じゃ』

なんてまっすぐで、崇高な生き方だろう。

一番身近な音楽、
ギターだけとっても、
そして更には基礎だけとっても
果てしない道のりのように感じます。
(あくまで自分にとって)

でも、面白くて仕方ないです。

多くのことを知るのも好きですが
一つのことを沢山するのが
僕自身、性に合ってる気がします。

目指すところも方法も音楽も千差万別。

でも、何かを目指していたいですね。

いや、未来への憧れは尽きないです。















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