見出し画像

友人と私の遠い夏のUSA <現地の人との交流編>

友人と私の遠い夏、アメリカ縦断旅行第3弾は、旅のゆく先々での現地の人々との交流編。

中学時代にハリウッド映画に恋をして、英語とアメリカに沼堕ちした私たちは、20代の終わりについに夢を決行!3週間に渡る二人旅が実現した。
旅の先々での今でも忘れられない思い出のシーンは、圧倒的に現地の人々と交流した体験だ。

ホテルのロビーの発音教室

旅の始まり、サンフランシスコで忘れられないシーンは、アメリカに到着して最初に宿泊したホテルのロビーで展開された、小さな発音教室。

私たちの他に、ソファに座っていた白人のおばちゃんたちのグループ数人とスモールトークが始まって、友人の仕事の話に及んだ時だ。
看護師だった友人が自信を持って
"I am a nurse."と答えると、
"No, no, no!  Nurse!"、とすかさず発音のダメ出しがあり、
Repeat after me.的な即興発音教室が開催された。

確かに、友人のnurseは、日本人にありがちなカタカナ英語「ナース!」で、ネイティブからすると聞き流せなかったのだろう。
おばちゃんたちは、オーバーなほどゆっくり発音して口元を見せながら口々にお手本のnurseを連発、友人は必死にリピートしようとするが、合格点はそう簡単にはもらえなかったのを記憶している。

おかげで私も、"nurse"だけはかなり正確に発音できるようになり、生徒たちにも、あの時のにぎやかなホテルロビーを思い起こしながら、おばちゃんたちの教えを伝授している。

ガスステーションのブラッド・ピット

カリフォルニア州の『マジック・マウンテン』というテーマパークを訪れた私たち。
ここは、ジェットコースター(英語ではローラーコースター)に特化したパークで、絶叫マシンなどを含め20機というアトラクション設置数は世界一とのこと。

『地球の歩き方』で予習を重ね、ここは外せないよね!とワクワクしながらプランしたのだったが。。。
いくつかトライして、そう時間もたたないうちに友人がギブアップ。早々にうんざりして退去したいと言い出した。
短い滞在時間で私たちが学んだのは、ジェットコースターは、そう立て続けに乗るものではない、ということだった。

友人の拒否感がかなり強かったので、予定を変更して次の目的地に移動することになった。予定では公共交通のバスをプランしていたが、早まった退園で時間にズレが生じ、急きょ、移動手段の変更を迫られた私たちは、やむを得ず気の進まないタクシーを選択することになった。

「タクシーには用心しよう」
確か『地球の歩き方』にも、そんなコラムが掲載されていた。
ぼったくられる、騙される、客が日本人だと特にカモにされる、みたいな脅しの記事をよく目にしていたので、友人も私もやや緊張気味に乗り込んだ海外での初めてのタクシー。

ドライバーは、あまり愛想の良くない無骨な感じの中年男性だった。
結果的に金銭的な面でのトラブルはなく取り越し苦労で済んだのだが、別な意味で忘れられないタクシーライド体験となった!

な、何と、真夏のハイウェーの長距離乗車中、タクシーのエアコンが故障する、という前代未聞(日本では!)な事態に見舞われたのだ!

車内の空気がどんどん生ぬるくなっていく異変に、あれ?、と気付き始めた頃、ドライバーのおっちゃんが、
"Open the windows!"、と大きな声で指示してきた。
あの時代、座席の窓の開閉は手動だったので、あっけにとられながらも、私たちは言われるままに両側の窓を全開にした。
一気に風を感じて不快感は和らいだが、生ぬるさはそれほど変わらなかった。

いやいや、タクシーでまさかのエアコン故障?これも海外ならではの珍体験、
"Give me a break!"、と心の中で肩をすぼめるポーズをとっていた私は、友人と目を合わせ、無言の「やれやれ。。。」の思いを交わし合った。

やがて、おっちゃんが何かをつぶやき、タクシーはハイウェイを降り横道にそれて止まった。
「エアコンを診てもらうために、ガスステーション(ガソリンスタンド)に寄るから」
と説明したのであろう、その英語は聴き取れなかったが;;;;

タクシーのバンパーを開けて、おっちゃんがスタンドのスタッフに何やら説明している間、客の私たちは車を降りて、近くの壁際にボーッと立って待機する、という、これまた日本じゃあり得ないトホホなひとときとなった。

その時だった!
すぐ近くで、同じく乗用車の修理で先に立ち寄っていた20代くらいの男性が、少し離れて立ちんぼしている私たちに、満面の笑顔で話しかけてきたのだった!

タンクトップ姿にブロンドの長髪の髪を後ろで束ねた、あなた、ハリウッド映画の中からいらっしゃいましたね、なオーラいっぱいの白人男性。
私の頭の中では、もう完全にブラッド・ピットに変換されていた!
どんな会話のやり取りだったか詳細は忘れたが、鮮明に覚えているのが
"Do you want an orange?"
と彼が唐突に聞いてきたこと。

そして、自分の車のトランクを開けると、そこから大ぶりなオレンジをおもむろに取り出した。
スーパーで見かける輸入ものの、いわゆる "orange"
なぜにトランクにオレンジ?
クエスチョンマークが頭をよぎる私たちに、彼はハリウッドスター・スマイルで近付き、裸のままのオレンジを手渡してくれた。

真夏のジリジリする太陽の光が反射して、キラキラ・キラキラ星屑みたいにまぶしかった男性(私にとってはブラッド・ピット)の笑顔と、見ず知らずの旅人の私たちに、優しく手渡してくれたオレンジ。
まるで映画のワンシーンのような一コマは、どれだけ時間が経過しても消去されることなく、心の上映会で繰り返し再生され続けている。

トロントアイランドの奇跡

ラストは、旅の終わりのトロントでの出来事。
ニューヨークでの滞在を最後にアメリカを後にした私たちの最後の目的地は、カナダのトロントだった。

ナイアガラの滝、トロント動物園と満喫して、最後に訪れたのは、オンタリオ湖に浮かぶ全長5km、15個の島からなるトロントアイランド。
中でもメインの島、セントラル・アイランドへ本土から約15分のフェリー乗船で渡り、パークの静寂と豊かな自然に包まれて、私たちは旅の終わりのぜいたくな時間を心に刻んだ。

そして、すべての日程を終え、翌日の帰国に向けてパッキングをしていたホテルでの夜、友人が悲鳴を上げた。
「カメラを忘れた!」

当時は写真と言えばカメラ、の時代、トロントアイランドでもそれぞれのカメラで撮影に夢中になったのだったが。。。
友人が真っ青な顔で、「パークのベンチに置き忘れた気がする」と告白。
楽しかったトロント滞在の余韻は一気に吹き飛び、二人とも絶望感に包まれてうなだれた。

落とし物が戻ってくる平和な日本とは違う海外で、しかも人気の高い日本製のカメラ……もう、あるはずはない。。。
友人は半ベソで、あきらめる、と言った。
でも、私はどうしてもあきらめ切れなかった。何しろ、友人の3週間分の旅の思い出が全部収められたカメラだったのだから。

持参した『地球の歩き方』の抜き取りページで、トロントアイランドの情報をチェックすると、運よく地元の交番的なポリスの連絡先を発見した。
ワラにもすがる思いで電話をかけ、応対した警官に事情を話した。
と言っても、スムーズに事が進んだわけではなく。。。
その警官が話すフランス語訛り(カナダは今でもフランス語圏が存在する)の英語がとてつもなく聴き取りづらく、自分のスピーキング力も今よりずっとお粗末で、ちぐはぐなやり取りの末、イライラした警官が放った一言、
「誰か英語を話せる人と代わってくれないかっ」
に深~く傷ついたことは忘れられない。
(あ、いや、一応、英語話してるんですがぁ~)、の心の声をかき消して、必死に食い下がっていた私の耳に飛び込んできたのは、警官が強い口調で言ったフレーズ…..
"We have it!"

耳を疑うような話だが、カナダのトロントで、屋外のベンチに置き忘れたカメラが、盗まれることなくポリスに届けられていたのだった!
Unbelievable!!

抱き合って喜んだ私たちは、電話を切ると速攻でトロントアイランドへと向かった。夜間ではあったが、翌日は帰国のため空港へ向かわねばならず、now or never で選択肢はなかった。
島を結ぶフェリーの最終便に、何とか滑り込み乗り込むことができた。

そして、ポリスでカメラとの感動の再会!
電話よりも柔らかな印象で意外だった警官にお礼を述べて、島をあとにする私たちを、彼は波止場まで見送ってくれた。

カメラとの奇跡の再会を果たし、
歓喜のあまり泣き笑いの友人
トロントアイランド・ポリスの警官と、
カメラを手に満面の笑顔の友人。
それにしても…今見るとジャージって。。。
おまわりさん、夜勤のお泊りだったのかな~

著者も記念撮影させてもらいました!
うわっ、トレーナー、趣味わるっ。
現地のマーケットで購入した服で、
友人と一緒にトロントでデビューさせたのを思い出しました(^^;
(だから友人のも派手!)

そして、島から戻るフェリーの最終便が既に出航した後で、帰る手段のない私たちに『水上タクシー』たるものを手配してくれたのだ!
私たちは警官が見送る港を背に、生まれて初めて体験する水上タクシーに乗って本土まで戻ったのだった。

お世話になった水上タクシーの
ドライバーのおじちゃん

時間にして10~15分程度の短い乗船時間だったと思うが、真っ黒の海を突き進むボートの水しぶきと、遠くにかすかに見えるトロントのダウンタウンの明かりが交錯して、ひどく美しかった光景が今でも蘇る。

最後に降りかかったアクシデントも、人の善意に恵まれ、救われて、まるで出来過ぎたドラマのエンディングのように、旅のラストシーンをハッピーエンドで彩ってくれた。

3週間に渡るUSAは、世間知らずで未熟だった私たちを、優しく迎え入れ、包み込んでくれた。
そして、旅の行く先々には、現地の人々とのかけがえのない交流があった。
何十年経過しても、その一コマ一コマは心のアルバムから消えることなく、大切なページに永久保存されている。

いいなと思ったら応援しよう!