【弓道教歌】射と弓具の関連(5)★
■過去分
1150 大蔵
(歌意)
人々が、把の低い弓を好んで使うのは、把の低い弓は離れのときに、手の内がよく利いて弓返りも早いからであろう、との意。
(感想)
現代の竹弓界隈で把の低い弓を好んで使う人はかなり少ないな~という印象です。律儀に15㎝を守ってる人が多すぎる。私の弓は16㎝で運用するものがあれば、14㎝で運用するものもある。関板と弦との間隔と弓返り速度と成りのバランスを考慮して、広くしたり狭くしたり。
15㎝を守ったままで関板が削れてる、弦音が出ないと不満を漏らす、などなどありますね。と、15㎝主義に苦言を呈そうと思ったのですが、ちょっと待てください。
”高い” or ”低い”とは何なのか?まるで哲学的なことが頭をよぎったのです。
例えば16㎝は高いのか?15㎝を基準としたときには”高い”でしょうが、16㎝で関板と弦が触れてしまうならば、それは”低い”といっていいでしょう。
例えば15cmで関板と弦が広い弓、14㎝にしてちょうどよくなったら、14㎝を”低い”と評することはできないでしょう。
15㎝でちょうどいい距離感、しかし下成りが立ってるので、矯正したら15cmではダメになった。それは15㎝でちょうどいいと言えるのか?
なぞは深まるばかり、、、
1151 雪荷、道雪
(歌意)
教師が把の低い弓を好み用いさせるのは、矢を早く飛ばせるためである、との意味である。
(感想)
昔の教師は把の高さまで指導をしていたのか~、と感心してしまいました。今の指導者でここまで教えてくれる人はどれほどいるでしょうか?少なくとも私の周囲ではいません。私もできません。竹弓を使ってる人は弓返りにも苦労していなさそうですし、早く飛ばすことに意義を感じていないですし、ちょっと勿体ないですね。弱い弓でも鋭く飛ばしたい、山なりの軌道よりも低い軌跡!そんな射を目指したいです。よし、あと何年かかるか分からないですが、山なりの軌道を描く強さの弓を使うようになったら思い出しましょうか。
1152 印西
(歌意)
把の低い弓は弓返り敏く、手の内強く覚える故、指導者は、手の内強く射させる為に把を低くして射させる、との意。
(感想)
強く覚える、返る感覚を掴んでもらう、という意味だといいですね。成功体験は成長には欠かせないです。
低くした反面、手の内が未熟だと弓手を払ってしまうことがあるので、痛い体験をさせてしまうデメリットもあるかもしれないですね。
まぁ、そうなったら、把が低いことが理由とは言わないかもですが。
1153 本多
(歌意)
弦間とは、取りかけ、手の内を整えた時の弓と弦との間隔のことである。
日置流射学第五、弦間の事の条に「手先弦間四寸五分とは懸の大指のわた所と弓手の脈所との間四寸五分あるやふに構ふれば、かね合ふなり。是れは古法の構なり。当流は胴の中筋ろくに立ちて弓手妻手届く所を出し掛くるなり。此の如くする時は弦間六寸程度になるべし。これを弦間のかねといふなり」とある。
(感想)
四寸五分というと、13.5㎝程度ですね。これだと弓構えの時ではなく、純粋に弦と弓の間隔のことになるでしょうね。これって今では15㎝が通説とされてる間隔よりも随分狭いです。
となると、今の弓は広いということになるのでしょうか?間隔が狭いと矢飛びがいいけど、荒れますし、広いと安定する傾向にあります。
ということは、狭いほど稽古になるから、鍛錬という言葉が使われているのでしょう。
以上、射と弓具の関連でした。もうこのタイトルも長いですね。それだけ後世に伝えたいことがあるということでしょう。頑張ります。
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