自分を守る「これからの働き方理念」
日本を脱出したのが2013年。
かれこれもう7年間、海外で暮らしていることになります。
日本を脱出してからまず最初に行った国がフィリピンのセブ島。そこで5カ月間英語の勉強をし、カンボジアで2カ月間働き、アジア、中東、アフリカ、ヨーロッパと旅をしました。そして1年2カ月の旅の道中で出会ったカタルーニャ人と結婚し、バルセロナ在住4年前です。
私の旅の目的は「いろんな働き方を見つけること」でした。
日本にいたときは、地元の高校・大学を卒業後、地元の出版社に就職、そこで10年勤めるという絵にかいたようなエスカレーター人生です。しかし、7年目くらいに雑誌広告契約が思うようにもらえなくなり、数々の有名雑誌が休刊していく有様を目の当たりにし、「ここで一生いること」に不安を覚え始めました。父親は新卒で地元の第二地銀に就職し定年まで勤務。母親は専業主婦のかたわら稼業の農業を手伝っていたし、姉も妹も同じ業界でずっと働いていました。なんと狭い社会にいたのか。私の周りには業界を越えた転職をした人がいなかったのです。そのため、「10年勤めた会社を辞めて別業界にチャレンジする」ことができると思えるまでに何年もかかりました。私にとって今までで一番勇気を出したことは、10年勤めた会社を辞めると言ったときと奥歯のインプラントをしたときです。
志した道を30年、40年と貫き、業界を極めることはもちろん大切ですが、時代の変化に応じて自分ができること、働く場所を選び変えていくのは当たり前です。トヨタの社長が「終身雇用を守れない」と言ってメディアが大騒ぎしたのは記憶に新しいと思います。
ちなみに私のいるスペインで、ずっと同じところで働いている人は「どこからもおよびのかからない無能」とみなされることもあります。いい条件のところがあればどんどん応募して、キャリア&お給料アップしていきます。企業に勤めながらも、履歴書をjob findingサイトにアップしておき、ときどきアップデートしていきます。
さて、話は日本脱出後、旅の途中で出会った人々に戻ります。
いろんな働き方をしている人たちに会い、フィリピンで磨いた英語を武器に私は会う人会う人に「働き方」について話を聞きました。
「今まで何やってたん?」「どのくらい旅行するん?」「帰国したらどないするん?」
アンコールワットのある街シェムリアップで会ったロシア男性はこう言いました。「シェムリアップが観光シーズンの半年間はここでガイドをする。もう半年はウクライナにある畑で小麦を収穫して販売する」。
バンコクで出会った日本人若夫婦はグラフィックデザイナーとしてリモートワークで収入を得ながら旅を続けていました。6年ほど世界各国を旅し、今はジョージアで日本人宿を経営しています。
「とりあえず仕事はイヤだったから辞めた。半年くらい旅をして帰国したらまた考える」というフランス人男性もいました。
仕事がない=先行き不安と考えているのではなく、仕事がない時期もあって当然だし、むしろそこは楽しまなくてはと考えているようでした。
ひとつの仕事に執着しまくっていた私からすると、どの人の働き方も目からうろこなものでした。
いろんな人から話を聞いて感じたこと。
それは「持っているものを活かす力がある」ということでした。
それは不労所得である不動産だったり、ノマドワーカーとして仕事を受注できる技術だったり、頼れる実家があったりと、さまざま。そしてそれをうまく自分の人生に活かしていると感じました。
海外で働くのに、絶対に英語が必要かと言われればそうではないのです。
毎月10万円入ってくる不動産収入が必要不可欠なわけない。
要するに「自分が持っているものを金に変えるめざとさ」なんです。
これから日本を脱出しようと考えている人。
今、裸一貫で自分が何が得意か、何が好きかを徹底的に追及してください。
そして、それを金に変える方法を探してください。
ちなみに手に職はあったほうがいいのは明確です。
世界じゅうを転々としながら発酵食品を作って売って生きている麹職人。
ヨーロッパでは珍しい春菊やダイコン、ごぼうなどの日本の野菜を栽培して売っている農家さん。
在住日本人相手にきめ細やかなクリーニングをしてくれる歯科衛生士さん。
海外で日本人向けに私立の保育園を立ち上げている元保育士さん。
みなさん持ち技を駆使してたくましく生きています。
自分の技をSNSを使って発信しまくって、売っていくのです。なけりゃ今から技術を磨くのです。
畳職人、網戸職人、日本人の電機工事なんてねらい目だと思いますね。
手に職を持ちながらも、人生のなかでの働く術はひとつじゃなくていい。
むしろひとつじゃないほうがいいと思います。
いろいろやってみて、自分に合う合わない、食っていける食っていけないを判断したらいいと思います。
ちなみに私の職歴は
地元タウン情報誌の広告営業・編集者→カンボジアでコスメ作り→セブ島語学学校現地マネージャー→バルセロナでお弁当屋さんの調理師→書道講師&オンライン硬筆講師(現在)です。
もう、生きていくため、なおかつ人様の役に立つなら仕事なんてなんでもいい境地にまできました。