小学生の「山の家」付き添いボラで、今年発見したこと3選
先日、小学生の「山の家」宿泊学習に付き添いボランティア(以下ボラと略します)で参加して、今年(2023年)もいろいろ発見がありましたのでnoteします
「山の家」は、昔で言うところ?の「林間学校」のことで、私の地元小学校は毎年5年生の子ども達がここに泊りがけで合宿します
コ口ナ禍が解けた?今年は久々の2泊3日合宿
私は今年で山の家付き添いに5回目ボラとなり、毎回何かしら子ども達から発見があるので、今年もそれをここに書きます
1.「杉」という木の名前を、子ども達がほぼほぼ知らなかった、のは予想外だった
第一日目に森の中探検ゲームがありました
子ども達はチームに分かれて森の中を散策する途中のチェックポイントで、私が出すクイズに答えて、答えが当たりなら5ポイントあげるというイベントでした
私の待ち受けるぽいんとに来たチームに、私はまず練習問題として、たぶん誰でも知っているだろう「ここに生えている気の名前はな~に?」と尋ねたところ
全員がその名前を知らないチームがいくつかありました
全然違う木の名前をいくつも答える子どもも・・・
僅かに一人ぐらいが「杉!」と正解するチームもいましたが、
私の肌感覚で9割の子は、森に生えている誰でも知っていそうな「杉」という木の名前を知らなかったのです
私が『杉という名前ぐらいは誰でも知っているだろう』と思ったのが大間違い!!
『自分のアタリマエは、他の人のアタリマエとはかけ離れている』
と思っていた方が良さそうだ
これが初日に子ども達に教わったことでした
たぶん、杉がはどんな木だとか、杉が何に使われているか、は子ども達も、その親達も、ふだんの生活の中では登場しない別世界の言葉や知識なのかも知れません
ちなみに子ども達の何人かはという高度な?知識を既に知っている子がいました
これらこそ日常生活では登場しない言葉だと私は思うので、
しかも専門的な用語や知識だと思いますが、
どうも学習塾でこれらの知識について習ったようなのです
「陽性植物」や「陰性植物」の方が杉という名前よりずっと役立つ知識かも
つまり中学受験に出題されるかもしれない切実な知識なのでしょうか
しかし「ここは木が茂っていて暗いから陰性植物しか生えない」と言った子も、杉の名前は分かりませんでした
まあ、いいか
2.子どもが「モクロジ」の木の実を発見してくれた
「先生、この実はな~に?」
子どもが手に緑色したドングリみたいなものを持って、私に質問しに来ました
私は教師ではなくて単に地元の学校活動ボラなのですが、子ども達は私のことを「先生」と呼びます
先生じゃなくて「おじさん」だよ、と言うのですが、まあ「お爺さん」と言われるより先生の方がいいです
持って来た実をよく見ると、西洋梨をドングリサイズに小さくしたような形で、軸の付け根がぷっくり膨らんだ特徴ある形になっていました
私もサッパリ名前が分からないので「グーグル先生に教えてもらおう」と言って、スマホを取り出し画像検索してみたら、モクロジ、と出てきました
私はモクロジなんて今まで見たことも聞いたことも無い名前でしたが、
このモクロジの実は「石鹸の実」だったのですね!
これを子どもが持ってきたことで、私史上初めてそれを知りました
試しに実の皮をむいて、手にこすりつけ、水筒の水を垂らして手を揉むと石鹸のようにすぐ泡立ってきました
この実はスマホで調べたら毒はなく、食べ方によっては美味しく、幸せお守りにもなり、しかも手が汚れたら石鹸になるという実に実用的な木の実が「モクロジの実」
今後私は、誰に「この実はなぁに?」と聞かれてもスグ、その説明をすることができることでしょう
誰かまた同じ質問してくれないかな
3.異質なゴミ?は誰一人それを拾わない、という法則
山の家の合宿ではいつもやる野外炊事
子ども達の多くがこの日初めて料理をして、しかも薪に火を着けるという禁断の快楽?を初経験する日です
野外炊事が終わり、おなかいっぱいで、その後は休んだり遊んだりするでもなく、子ども達は食器や鍋のあと片づけをしなければなりません
どちらかと言うと、あと片づけをちゃんとするのを主たる目的にしているような野外炊事な感じでしたが、
これも自治体の教育委員会方針なんだろうと思い、私も傍で子ども達のお掃除を補助しました
案の定、床にはご飯粒や、灰や、野菜クズなんんかが散らかっていました
先生が「そういうものを塵取りで集めたら、ここに捨てなさい」と言われたとおり、みんな一生懸命掃除してゴミ袋に入れ、掃除を頑張っているのですが・・・
誰かが落としレジ袋や、汚れた軍手は、誰~れも拾わず、ちょっと汚れた床にそのまんまでした
私は近くの子に「そういうものでも拾って捨ててね」と声かけしました
ただ、この声かけ、良かったのかどうか??あとで心配に・・・
「なんで子ども達、落ちている汚れ物を拾おうとしないのでしょうね?」
そう担任の先生に尋ねてみました
私は『そうだね、それも教えないとね』という先生の返答を想像したのですが、先生のお答えは違っていました
「たぶんなんだけど、『誰のだか分からない物や汚いものを勝手に拾ってはいけません』と子ども達は親からそう言われている可能性があるんですよ」という意味の返事が返ってきました
私は思わず「あっ!そういうこと!」「それも一理ありますね!」と声に出して返事してしまいました
なぜなら、似たような現象は大人社会で経験したからです
地域の「清掃の日」がありまして、この日は箒と塵取りを持ってめいめいが道や公園を掃いて掃除しますが、ほぼ全員が枯れ葉しか掃き集めません
レジ袋やお菓子の袋、空き缶やそのほかのゴミが落ちていてもみんな知らんぷりです
私はこれを「イケナイ習慣」と思っていましたが、ある日に区長さんがお掃除現場に来られて「みなさんこれから枯れ葉を集めるのは大変ですが、街をきれいにするために頑張ってください」と激励したのを目にしました
つまり「枯れ葉は集めてください」としか言わなかったのです
私はそれでも落ちているゴミを集めました
そうしたら清掃活動の担当の人がそれを見て
「まあまあ、瓦礫まで集めていただいて、それはたいへんでしたね」
と、何だか怪訝そうな表情でそう喋ったのです
この経験と、今回に子ども達の清掃を思い出して比べると、
・落ちているものは他人の所有物の可能性があるので、たとえゴミに見えても触ってはいけない
・仮に本当にそれがゴミでも、汚いし、拾っても道や公園にはクズ籠が無いから捨てられず、家に持ち帰ってもいけない
・だから落ちているゴミは拾ってはいけないよ
このように親から言い聞かされている可能性があるのではないのかな?そんな気がしてきました
もし私が「ゴミが落ちていたら拾いましょうね」と教えて、子どもがそれを実行したとしたら、不覚にも、その結果その子はゴミを拾って家に持って帰るしか手立てが無くなってしまいます
なぜなら拾ったゴミを捨てられる場所は公園や道には無いからです
仕方なく拾ったゴミを手に持って家に帰ったら、
「そんな汚いゴミを拾って持って帰ってこないで!」と親に怒られ、
その結果、子どもはものすごくヘコんでしまうハメになりかねないです
これはマズいです
良いことしたのに怒られた
きっとその子は『もうゴミなんか拾うもんか!』と心に誓うことでしょう
そういう展開になる可能性があることを、子ども達の行動から発見しました
そういうことにならないように、公園にはクズ籠を置いた方がいいと思ったのですが・・・
街の公園を管理している方々、
昔のように公園にくす籠設置するのは、今はダメなのでしょうか???