終わりのない寂しさへの覚悟はあるか

仕事選びも、パートナー選びも、なんなら物件探しも、マッチングプロセスはどれも似たようなもんや。…と思ったのは今から2ヶ月前。

キャリアに悩み、それが一歩進むと今度は女としての人生に悩む。
やれやれ、人生やなぁ。
C’est la vie.とは、そんな感覚なのか。


10年以上友達だった男と、一年前から付き合っている。彼とは結婚ができない。300万以下の年収と彼のあまりに自由な生活スタイルは、どう考えても家庭を築くには向いていない。

家庭。

私は本当に家庭を持ちたいのだろうか。

寂しい時、誰かにそばにいてほしい。背中をさすってほしい。もしものとき、私のためにすっ飛んできてくれる人がいてくらたら、、。そう考えると、彼と付き合い続けることを迷わずにはいられない。

ここ2週間、婚活をかじってみた。結果、悲しいかな、やはり彼を愛してることがわかった。それで、もういいではないか。

子供。

「諦める」と言ったら、あたかも「切望」していたように錯覚する。街や電車で見かける若いあるいは若くない家族を見ても、「こういうふうにはなりたくない」とつい思ってしまう。この「つい」という反射思考を大事に考えたい。

占い師は言う。
「いまは"このままがいい、楽しいことの方が大事"と思うかもしれない。でもあなたが45、55になったときに、同じように思うかと考えたら、、?」
同じように考えるわけがない。45のときは45のとき、55のときは55のときなりの言葉が巡る。

後悔するだろうか。

いや、判断を自分の腑に落とし続けていれば、受け入れざるをえない。腑に落ちるまで、決断を我慢することができれば、迷い続ける苦しみに耐えることができれば、後悔はしないだろう。

後悔はしなくとも、終わりのない寂しさを舐め続けることになる。そのことを、今の私はどこまで想像できているのだろう。

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