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「二股トンネルは、かつて内部で道が分岐していた」は誤り。
岐阜県加茂郡八百津町の国道418号にある「二股トンネル」は東海地方では超がつくほど有名な心霊スポットです。
それゆえにネット上では、このトンネルが心霊スポットと呼ばれるようになったきっかけである人柱伝説はもちろん、現地を訪れた人の体験談も含めて数多くの「真偽不明の噂」が飛び交っています。
現地での心霊体験談については酷道走破のついでにトンネルを10回近く通ったのにいまだに火の玉一つ見ていない人間がここにいますし、人柱伝説についても確たる証拠が無いためどちらも半信半疑なんですが、個人的にこのトンネルにまつわる噂の中で一番違和感を抱いてきたのが「内部分岐説」。
「内部分岐説」は概ねこんな内容です。
二股トンネルは、かつて内部で道が二股に分岐していたので「二股トンネル」と命名された
はっきり言ってこの噂は初見の時点で違和感しかありませんでした。
建造物の名前は周辺の地名を採用するのが一般的ですし、地名以外から命名するにしても「道が二股だから二股トンネル」はさすがに安直過ぎる気がします。
ただ、そんなぼんやりした違和感だけでは内部分岐説を否定できるほどの説得力が無いので、しっかり調べてみることにしました。
結論から先に書くと、やっぱり「二股」は地名が由来でした。
↑の画像をご覧ください。
これは、現在の八百津町の前身の一つとなる潮南村の木曽川沿いに存在した「下立(おりたち)地区」の概略図ですが、注目すべきは図の下のほう。
木曽川の部分をよく見ると「[二股]」と書かれているのが確認できます。
同時に、その場所には木曽川に中洲があり川の流れが二股に分岐していることも図から読み取れます。つまり、
二股トンネルの「二股」とは、木曽川が二股に分岐していた場所を指す地名であり、トンネルの分岐とは全く関係が無い
というのが真実だったのです。
他にも様々な資料や文献を調べたところ、この「二股」という地名は二股トンネルが建設される40年以上も前に完成した八百津発電所の工事記録にも登場することが判明。
トンネルが建設される以前から「二股」の名は存在したわけですから「かつて内部で二股に分岐していたから二股トンネルと命名された」という内部分岐説は完全に誤りであることも証明されました。
「二股」が地名として認識されにくくなった要因の1つが「小字ではなかった」こと。
実は「二股」は正式な地名(小字)ではなく「木曽川が分岐していた場所一帯の通称」でしかなかったようで、八百津町史の小字一覧にも掲載されていません。
そしてもう1つ、致命的な要因となったのが二股トンネル周辺の無人化です。
現在、二股トンネルがある場所には、かつて上新田という集落があり、他の幾つかの集落と共に下立地区を形成していました。
しかし、上新田を含む下立地区は丸山ダム建設に伴う家屋移転と過疎化により徐々に人口が減少し、2000年代に新丸山ダム計画が本格的に始動すると僅かに残っていた住民も立ち退いたため、現在では完全に無人化しています。
現地の地理に詳しい人々が居なくなってしまったことで「二股」が地名であるという認識が極限まで薄れていたところにネットを通じて広まった内部分岐説がぴったりハマってしまった……。
多分、こんな流れだったんじゃないでしょうか。
ところで、
内部分岐説は何故これほど広まったのでしょうか?
ネットで内部分岐説を紹介しているサイトを読んでみると、八百津町在住の方から「昔はトンネルが中で二股に分岐していた」という言質を得て内部分岐説の証拠としているものをいくつか発見しました。
自分もまともに資料が残っていない道路や建造物の歴史やエピソードを調べる際には地元の方から得た情報をかなり重要視するタイプの人間ではあるんですが、この内部分岐説については「地元民の話」を全否定する方向でいきます。
自分は八百津町民でもないし、八百津町に住んだことも一度もありませんが、かれこれ6年ほど酷道走破のついでに町内各地を車・自転車・徒歩で巡り、図書館で丸山ダム関連の資料を読み漁ってきた経験があります。
そんな自分が導き出した内部分岐説に対する答え。それは……
「ただの勘違い」説
この説はかなり自信があります。
何故なら、
八百津町には本当に内部で道が二股に分岐しているトンネルが存在するから。
それがこちら
このトンネルの名前は「蘇水峡(そすいきょう)トンネル」。
蘇水峡トンネルは丸山ダム建設時に工事現場に資材を運搬するために敷設された「丸山水力専用鉄道」の遺構で、現在は道路に転用されて町南部の錦織地区から丸山ダムへと至るショートカットコースとなっています。
そして、何の因果か今回の主役である二股トンネルもまた、丸山ダム建設時に水没する付け替え道路の一部として開通した歴史があるのです。
ダムの建設という一大プロジェクトの中で奇しくも同じ町の中に
内部で道が二股に分岐するトンネル
と
名前が「二股」のトンネル
この2つがほぼ同時期に開通したわけです。
2つのトンネルを混同して覚えてしまった方がいて「そう言えばダム工事の時に中で道が二股に分岐していたトンネルがあったような……」と誰かに話したものが二股トンネルの内部分岐説として広まった。
そう考えるのは不自然でしょうか?
そして、これは個人的な体験談なのですが、何年か前に「二股トンネルで肝試しをしたことがある」という方に出会ったことがあり、前述した通り自分も酷道走破のついでに何度も現地を訪れていたので興味を持って詳しく話を聞いてみたところ、トンネルやその周辺の状況が自分の知る二股トンネルと一致せず不思議でした。
よく話を聞いてみると、その方は先ほど登場した「内部が二股に分岐している蘇水峡トンネル」のことを心霊スポットの二股トンネルと勘違いしていたらしいということが判明。
どうやらこの手の勘違いは珍しくないようで、八百津町周辺で「二股トンネルを車で走ったことがある」という方が実は蘇水峡トンネルを通過しただけで、本物の二股トンネルには行けていなかった……という微妙な残念エピソードをつい最近も聞きました。
これから夏にかけて肝試し目的で二股トンネルを目指す方が増えると思うので一応注意しておきますが、丸山ダム付近の内部に照明があり道が二股に分岐しているトンネルは二股トンネルではありません。
心霊スポットの二股トンネルは木曽川沿いの未舗装の道を延々進んだ先にある内部が真っ暗で道が二股に分岐していないトンネルです。
トンネルまでの道は狭いし舗装も荒いし断崖絶壁を走ります。
木曽川に落ちたらまず助からないので運転には十分注意してください。
あと、肝試しに来てゴミを捨てて行くのはやめろ。
誰だよ真っ暗なトンネルの中に人形を放置していった奴は。
普通にビビるからやめろ。
ちなみに人形は現存しません。
【※】この記事は今年1月にブログで公開した記事の内容を一部抜粋・追記して投稿したものです。
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