正論を振りかざす暴力
家族や友人、あるいは職場など様々な場面で私たちはコミュニケーションを取る。悩み事や問題があれば人に相談することもあるだろう。そんな時、あなたは正論を振りかざされた、振りかざした経験はないだろうか。
僕は「正論が常に正しいとは限らない」という考え方が好きだ。なぜなら、正論が正しいと頭で理解しつつも、心理的側面では納得できないという、如何にも人間らしい問題を抱えているからだ。
今回は僕なりの正論の使い方や正論の落とし穴を共有できたらと思う。
正論は共通認識を持つために
僕が心掛けているのは、共通認識を持つために正論を使うことだ。
辞書によると、正論は「道理にかなった正しい意見や議論」だそうだ。
つまりは、客観的事実から合理的に正しい在り方や理想を述べることである。なので、正論をお互いの持つ正解をすり合わせるために使うと便利なコミュニケーションツールになり得る。
人は情理に大きな影響を受ける
正論は客観的事実からなる合理的な論である。常に解を導けるように見えるがそうであれば、正論を言う人は嫌われるという話やロジカルハラスメントなどの話は挙がってこないはずだ。どうして、このような話になるのか。
答えは簡単で、人は情理で動く生き物だからだ。
正論はこの情理を度外視しているから、正しいと頭で理解しつつも、心理的側面では納得できない状況を生み出す。
正論で論破することが目的になっていないか
正論で相手を詰めて逃げ道を塞ぎ論破することで悦に入っている人をときたま見かけることがある。たしかに相手に反論の余地を与えず、「そうだね・・・」と言わせるのは一時的には気持ちの良いことかもしれない。
しかし、それではなにも問題は解決しないし、物事は良い方向には進まない。なんなら、さらに厄介な問題を生み出す結果になることもあるだろう。
真の目的は”理想や在るべき姿に近づいていくこと”ではないだろうか。
そのためには、正論だけではなく情理に寄り添ってコミュニケーションを取ることが、一見非合理に見えて最も合理的なことではないだろうか。