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寺に行きたい

最近はついていないこと続きだ。仕事でもプライベートでも、失敗の連続。心って実はお腹にあるんじゃないだろうか。お腹の奥底がキリキリねじられて悲鳴を上げている。
「辛いとき辛いと言えたらいいのになぁ」と、かのAqua Timezも歌っていたけれど、実際は不甲斐なさすぎて口に出すことこそ辛い。

父の眠る墓のある寺に行きたい。あそこは静かでいい。大通りに近いのに。風が吹くと卒塔婆がカタカタとさざめき出し、たまにカラスがお供物を狙ってか、上空をゆっくり旋回しながら鳴いている。私は父の墓のすぐ横にある青いベンチに腰掛ける。誰かの墓に供えられたビールは必ず金麦かワンカップだ。目を閉じて、卒塔婆の音を聴く。
卒塔婆といえば、父と大学の合格発表を見に行き、その足で不動産屋を巡って物件を紹介してもらったとき、初めての空き部屋探訪で興奮して窓を開けると一面に広がる墓と卒塔婆に驚嘆した。夥しい数の卒塔婆がぶつかりあう音はすごくうるさくて、こんな環境は初めてだった。自分は自分以外の家にひとりで住むんだということを実感した。立地のわりに安いなら何か理由があるということも理解した。
あれがもしかしたら父と二人で出かけた最後の記憶かもしれない。
懐かしい。あれから生協で探してもらった物件で友人たちと楽しく過ごし、就職後は実家に戻り、父は亡くなり、私はまたひとり違う街で暮らしている。

こんなところまできてしまった。何も身につけないままに。春は結構嫌な気持ちになることが多い気がする。生ぬるい風は不快だ。今は冷たい風で、それはそれで不快だ。
周囲の人に恵まれ、明るく楽しく生きているけれど、自分の仕事のできなさはちょっと異常かもしれない。父よ、申し訳ない。あなたの娘は結構バカです。

誰かにすがりたいけどすがれない。だから父に甘えに行きたい。死んだ人に都合よく慰めてもらいたいのだ。

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