亡くなった兄が会いに来た話

兄が亡くなってから1年ほど経った頃、兄が私に会いに来たことがあります。宗教やスピリチュアルとは無縁の話です。

兄は交通事故で私が中学2年のときに突然亡くなりました。事故に遭った車で兄はただ寝ていただけでした。

当時のネットニュース記事には「被害者はシートベルトをしていなかったのでは」と兄を批判するコメントが投稿されていました。6年が経過する今でもそのコメントを忘れることはできません。兄がシートベルトを着用していたことが分かったのは後日でした。

兄が亡くなり1年が経過したある日、私の夢に兄が出てきたことがありました。それまでに私の夢の中には兄が何度も登場していましたが、その時の夢は決定的に違いました。

夢の舞台は自宅の玄関でした。私と兄が向かい合って立っていました。あまりにも現実的な夢。「兄が存在すること」以外、現実の世界と一切齟齬はありませんでした。夢の中で兄を認識してから、「なんで兄がここにいるの?」と私は素早く違和感を覚えました。兄が亡くなったという現実が、夢にしっかりと投影されていたのです。兄がここにいるのはおかしい、これは絶対に夢だ、そう気づいた私は、反射で兄を抱きしめていました。「大好きだよ」  たった一言だけでしたが、兄にしっかりと伝えることが出来ました。

目が覚めて時間が経過しても、兄を抱きしめた生暖かい感触は腕に残り続けていました。火葬前の硬直した兄に触れた、あの冷たく無機質な感触とのコントラスト。同時に、夢の中で夢と気づき自分の思うままに行動することができたことに対して、不思議ゆえに上手に飲み込むことができませんでした。科学的に言えばいわゆる「明晰夢」だったのです。夢の中で「これは夢だ」と気づき、コントロールできる夢のことを「明晰夢」というようです。しかし、私はこの出来事から言葉では言い表せないものを感じていました。

それから、兄は私の夢の中にほんの何度か出てきましたが、夢の中で夢であることに気づき兄に思いを伝えることが出来たのは、あの瞬間だけでした。

あのとき兄は、きっと私に会いに来たのだと感じています。「いってきます」と笑顔で家を出て、冷たくなって帰ってきた兄。死に目に家族が立ち会うことはできませんでした。死ぬ前に出来なかった最後の別れのため、私が伝えられなかった思いを伝える場を設けてくれたのではないのでしょうか。

事故から6年が経ち、私は兄が生前在籍していた大学で学んでいます。兄は21歳でこの世を去りました。私は来年、兄が亡くなった歳である21歳になります。時間が経って目まぐるしく環境は変わり、1つずつ歳を重ねていく私と、永遠に21歳のままの兄。兄が卒業できなかった大学を、やがて卒業する私。

兄は、最近はもうめっきりと夢にも出てきてくれなくなってしまいました。時間の経過が私の苦しみを和らげているのか、はたまた兄の未練が昇華されたのか。あの夢の舞台は自宅の玄関でした。ドアを開けて、兄は新たな場所に旅立ったのでしょうか。明日は兄の月命日です。お兄ちゃん、元気にしていますか。

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