ただ前へ。
-プロローグ
当時に俺がよく聞いてた曲の歌詞だ。この曲の通りの日々を過ごしていたなぁ、と今更ながら感じている。
先輩の代から数えて4度目の負け。
…俺は悔しさを隠せなかった。
-高校2年生~11,12月~
宿命の相手との試合に負けてしまった。恩があった3年生を引退させない、という思いでいたので、本当に悔しかった。色んな思い出が頭の中を巡って、思わず涙が溢れた。
だが、すぐ切り替えないといけない。次は絶対勝つ。その思いでいた。
その日から「Don't be "if",take action.」は
「Never say "if",take action.」
に変わった。「しない」が「絶対に言わない」に。そのための行動を起こそう。決意を固めた瞬間だった。
その日の帰り、Instagramでこんなことを投稿。
「Never say "if", take action.
1年後、絶対後悔しないためにまた更に上へ走っていこう。」
その日に撮った夕日に決意を表明した。
だが、新チーム始動当時、気持ちが高ぶりすぎて、迷惑をかけにかけまくった。
今までだったら絶対やらない行動を何度もやってしまった。自分でも「何やってるんだろう」「絶対怒られるだろう」って思えるような行動をしてしまった。
その結果、思っきり怒られてしまった。辛すぎて辞めてしまおうかと思った。
だが、先生は怒っている中で一言言った。
「もっと仲間を頼れよ」
中学の経験を完全に引き摺っていたと思った。中学では仲間と呼べる同級生がいなかった。その為、1人で何もかもやろうとする癖がついてしまっていた。
その一言は俺の世界を変えた。1人でやろうとするから何も見えないんだって。頼れるものは頼ればいいんだ。そんなことを思えた瞬間だった。
俺は俺を超えることができた。
その日以降、ようやくいつも通りに戻った。サーブももっと強く、そしてチームのために流れを変えれるサーブを。その意識で強くなって行った。
そんなこともあった中で、総合探究が終盤に差し掛かっていた。俺は色々考えて、佐渡の魅力・価値を上げる方法を探っていた。そんな中、軸にすべき公式ができた。
「佐渡×観光=魅力・価値UP」
きっかけは9月に見た動画を思い出したこと。その動画の中で「産業観光」の言葉があった。これ自体は「その地域特有の産業に係るもの、ならびに昔の工場跡や産業発祥の地などの産業遺構を観光資源とする観光」の事だ。つまり、この言葉を軸にした観光、つまり佐渡と観光をかけ合わせた観光をして行けば魅力や価値が上がると思った。
そのためにできることをすごく考えた。当時の俺が思いついたのは3つ。
佐渡のマイナス面から考える
佐渡市と企業がさらにタイアップする
佐渡島民が「佐渡」を考え、知る必要がある
そんなことを盛り込んで、発表用のスライドを作った。時間もないため、アンケートも必要なものだけ絞って念入りに考察した。
サーブを毎日朝打って、打ちまくって白くなった手を見ながら授業を受け、家に帰ってはプレゼンのスライドを作る、そんな日々が続いて行った。
そして、領域ごとでの発表当日。俺は今までやってきたことを堂々と発表した。そして、大量の質問ラッシュ。自分の思っていることをしっかり話すことができた。
その結果、全体での代表に選出された。やっと色んな人からの意見が聞ける。バレーで怒られて進化した俺はそんなことを思っていた。
そして、12月23日。全体での発表。発表の振り返りをして、足りない要素を足したスライドを作った。そして、1年生も聞くことが決まった。俺はびっくりしたと同時に、色んな人の意見が欲しい。思っきりやってやろう。そう意気込んで発表した。
そして、発表が終了。バレー部からはネタにされながらも「凄かった」と言葉を貰った。
その後、アンケートを貰った。全部念入りに読み、なるほどなぁ、と思いながら見ていたら、ある1枚が目に止まった。
「私も今、観光の方と、佐渡の観光客UP⤴︎+移住者UP⤴︎のプロジェクトをかんがえたのですが、今回の発表はとても為になりました!"人と人"が教えあっているのですか…!成程。SNSはある意味、欠点であり、強化すべきキーポイントとなりますね。これから具体的にどのように進めていくのか気になります!」
と書かれていた。凄い俺が言いたいことが伝わっていた熱を感じた感想用紙だった。他のアンケートも熱いものを持っていたが、それ以上に熱意を感じた。これは人脈を築いておかないと行けないと思った。
そんなことを思いながら、二学期が終わった。
-高校2年生~冬休み~
冬休みに入ってからすぐ遠征が始まった。6泊7日の長旅。クリスマスは初めて家族以外の人、共に苦楽をしてきた仲間と過ごした。
最初の3日間は大会に参加。自分たちの今の実力がどのくらいなのかを把握した。大会は無事優勝。自信を持って終わった。
その後、遠征の舞台は群馬へ。
朝日と夜景が綺麗に見える宿に泊まれたので、毎日朝日を見ることを楽しみに毎日過ごしていった。
多くのセットをこなし、自分としても沢山サーブを打ち、自信を持ってプレー出来るようになっていった。また、県外チームと初めて話すことが出来、最終日には多くの仲間を作ることが出来た。
最終日には朝早くからみんなでお散歩をしに行った。道中で遊びながら行き、とても楽しかった。
6泊7日の長旅を終え、俺は新潟に留まり、映画を見た。久々に新潟で遊べてほんとに楽しかった。
そして、年が明けて2022年。
1月2日から練習。久々に大学に行っていた憧れだった先輩方と再会。たくましい姿になっていて、改めてすげぇなと感じていた。そしてその先輩方と練習試合を重ね、さらに強くなって行った。
そして、冬休みが空けた。
-高校2年生~1月~
冬休みが空けて、すぐに遠征。
なぜなら再び宿命の相手と当たることが決まっていた。しかもベスト4をかけてだった。
俺たちは今まで負けに終わった先輩方の思いも背負って、大学でもバレーを続ける先輩たちの力を借りながら、全力で練習し、実践力を磨いて言った。
そんな中、俺はアンケートで熱を感じた子と無事繋がることが出来た。お互いの思っている未来図や、今後観光でやりたいことなど、色んなことを話した。話していく中で、応援したいし、今後も協力していきたいなと思ったと同時に、凄い夢を掲げているな、って思った。
話を聞いたあと、俺は夢のあり方を考えていた。夢って、なんのためにあるんだろう。俺はあるひとつの考えにたどり着いた。
「夢は馬鹿でかい目標。その目標を達成する過程の中で1つのミチシルベになっている。」
という考えに行き着いた。その日、また1つ大切な言葉が生まれた。
「Dreams are my guidepost.」
すなわち、「夢は自分のミチシルベ」この言葉を新しく俺の大事な言葉に加えることになった。
そんなこともつかの間、大会が近くなってきた。
いよいよリベンジを果たす時が来た。絶対に倒してやる。その思いでチーム全員がいた。
だが、その思いはあっという間に砕かれた。
コロナが新潟で流行。その結果、大会は中止になってしまった。
戦わずして、俺たちのリベンジの夢、そして大事な大事な大会は無くなってしまったのだ。
そして、コロナの流行は佐渡にも襲ってきた。再び休校になってしまった。
だが、俺は絶対に諦めてたまるか。その思いひとつだった。大会が開かれるはずだった日にInstagramで大会会場の写真を添えて、こんな投稿をした。
「今日から大会…のはずだったけどコロナの影響もあって中止、戦わずして1つ大会を終えてしまった。自分としてもとことん鍛えたサーブで戦おう、そう決めてたのにすごく悔しい。
だからこそ、インハイ予選で後悔しないためにやれること全部ぜんぶやろうと思う。俺のバレーはこの1年が多分最後、自分の座右の銘であるNever say "if",take action.この言葉を胸に刻んでこっからさらに上を目指す。」
-エピローグ
痛くて、辛くて、悲しい日々が沢山あった。
でも俺は前を向き続けた。先輩方の思い、世話になった人達みんなの思いを背負っていた事に気づけたから。仲間がいることに気づけたから。
ただ、上を、そして前を見続けて、俺は俺だけのミチシルベを進み続けた…