赤い闘志と青い日々
-プロローグ
「赤」と「青」
この色は佐渡高校のユニフォームの色。
そして俺に勇気や希望、過去の経験や大事な人との思い出などを思い出させてくれる、大事な色だ。
夏休み前、やることが出来て明確な目標ができた。そのために俺は走り出そうとしていた…
-高校2年生~夏休み~
夏休み直前になり、島外の高校に取ったアンケートが届いた。「やっと来たか…、待ってたぞ。」と思いながらアンケートを開けた。膨大なアンケートの量。すげぇなと思いながらも、まずはバレーに集中しよう、と思い一旦閉まった。
そして迎えた夏休み。高校生活最後のバレー漬けの日々が始まった。
そんなことを思っていたが、コロナがここで猛威を振るった。
遠征も計画していたタイミングで学校でコロナが出てしまった。その影響で計画していたものが崩れてしまっていた。
だが、それでもバレーがやりたい。全国に行きたいという思いが強かった。だから家での自主練を全力で、宿題をさっさと終わらせることにした。そして、アンケート集計をやろう、と思っていたのだが、集計に苦戦。一旦宿題を終わらそうと思ってやらなかった。
その後コロナ感染が収まり、無事再開。佐渡での合宿は行われるという話になった。
迎えた13日、佐渡に島外から多くの学校が来てくれ、練習試合をすることになった。サーバーとしての実践力を高めると同時に、センターで出て、クイックを何本も決めることが出来た。(セッターのおかげだったが。)そして、その間に色んな高校の人と話し、また多くの仲間を作ることが出来た。
そして夏休み終盤、個人練が多くなって行った。そこの中で徹底的にサーブのスピードをあげること、狙って打つことを頑張った。また、クラスでも文化祭の準備のため、学校に来ることが多くあった。撮影の中ででてきたNGシーンはとても笑った。バレー漬けの日々の中で、学校生活での青春ができたような気がした。
そして、夏休みが終わった。
バレー漬けの日々に幕が閉じたのである。
-高校2年生~夏休み明けと9月~
夏休みが空けてすぐ、とんでもない出来事が。なんと宿敵の相手と練習試合をすることに。まさかやれるとは思っていなかった。
練習試合では午前中はかなりいいサーブが打てた。だが、午後になって急にいいサーブが打てなくなってしまった。打ってもミスしてばかりになってしまった。
翌日、悔しさを滲ませながら別の高校と練習試合に。そこでも引き摺ってしまい、ミスを連発。先生に怒られてしまった。
どうしよう…、自分のサーブが打てない…
自責の念に駆られてしまっていた。そんな中、小学校からずっとやってきた1個上の先輩や同期の仲間が
「思いっきりやればいいよ。俺たちが何とかするから。」
そんなことを言ってくれた。その一言で俺は自分を守っているだけやなって思った。強くなるためには思い切って攻めなきゃ行けないと思った。
吹っ切れた。自分らしいプレーでいいんだとまた確認できた。
その後修正することが出来、ミスを減らすことが出来た。この遠征を通して、自分は甘い。と実感したと同時に、自分らしさを失ってはダメだなと思った。
誰よりもサーブを打って、自分のプレーの質を高めよう。新たな目標ができたのだった。
だが、俺の思いとは裏腹に、9月に入って早々、とんでもないニュースが。
「2週間程度、部活をしないでください。」
新潟県からの要請だった。俺たちの青春を奪われた瞬間だった。国は俺たちの青春よりも大人を優先するのか。呆れてしまった。
だが、バレーで全国に行くために全力を尽くそう。そんなことを思えた瞬間だった。
自主練の時間を長くしてサーブを打ったり、走る時間を長く取ったり、出来ることは全部やっていった。
そして、9/5、動きたい、という衝動に駆られ、俺は自転車旅を決意。ママチャリで行ける所まで行った。
最終目標は尖閣湾として、チャリを漕ぎ始めた。漕いでいく中で「佐渡ってやっぱすごくいい島なんだな」と思えるようになった
休憩で親がサプライズ。俺のとこまで来てくれて飯を奢ってくれたのだ。あの時食べたカツ丼は今でも忘れられない味になった。
そして漕ぎ始めて3時間過ぎ。ついに到着した。やりきったと思った。そして中に入り、しっかり観光して行った。その中で「自然をどう活かせば観光客UPに繋がるかな?」と思ったり、「古い施設を上手く言い換えて観光客を増加させるにはどうすればいいんだろう」と佐渡の観光に対して様々な疑問を抱くようになった。
そして帰り道。俺は佐渡金山へ行くことにした。数年ぶりだった。改めて金山って凄いいいとこだなって思ったけど、観光客目線から考えてみると、1回で満足してしまうなと思った。「リピーターを増やすためにできることってなんだろう…」そんなことを思いながら帰路に着いた。
そして無事帰宅。翌日、コロナと観光に関する講演会の動画を見て、「観光の火を灯し続けること」「コロナでもできることはある」ということを学んだ。(下の動画を見たので良ければ参考にしてもらいたい。)
その後本格的にアンケート調査を実施。時には1番退屈な世界史の時間を使うこともあったが、順調に進んでいった。
そして、やっと部活動解禁。コロナで奪われた青春を取り戻す時間にしていった。サーブを人の何十倍も打って、自分のサーブの研究を重ねて行った。
-高校2年生~10月~
中間テストを終えて迎えた10月5日。誕生日の日だ。去年は思ったより知られてなかったためあんまり貰えてなかったが、その年は色んな人達からプレゼントを貰った。最悪な誕生日を塗り替えるくらいとても嬉しい日になった。
そんな日々もあっという間に過ぎ、いよいよ春高。俺たちは努力を重ね続けた。
10月23日。春高1次予選が始まった。俺はこの日をとても楽しみにしていた。
なぜなら小学校時代から仲の良かった選手がいる高校と2回戦で戦えることになっていた。超楽しみだった。
1回戦は安定した強さで突破。仲の良かった選手の高校も無事突破し、戦えることになった。
2回戦が始まる前に、久々の再会。最初の一言は
「七海だよね?」
から始まった。俺は話しかけてくれて本当に嬉しかった。また後で。その言葉をかけて試合が始まった。
第1セット。安定したプレーから攻撃を繰り出し、相手を離していく。迎えたセットポイント。俺はリリーフサーバーで投入し、サービスエースを取って、第1セットを取ってみせた。
続く第2セット。徐々に相手を引き離す。そして俺もリリーフサーバーで投入。小学校時代からの相手に狙いを定めて打った。崩したが、自分たちのプレーでミスをしてしまい、自分と相手との戦いは一瞬で幕を閉じた。その後は安定した攻撃を続け、2セット目を取り、ベスト8に進出した。
試合が終わってから、沢山話した。将来のことや最近のこと、バレーのことなど色んな話をした。その後LINEを交換し、連絡を取れるようになったりめっちゃ嬉しい再会もあった1次予選だった。
試合が終わり、佐渡に戻ってからサーブの精度を上げ続けた。1週間前には一線から離れていた3年生が復活。チーム佐渡高校として、さらにチーム力、プレーの質を向上させた。
そして、10月30日。沢山お世話になった先輩と挑む春高決勝トーナメントが始まった。
準々決勝はインターハイでも戦った相手。全力を尽くしてベスト4へ行こうと思った。
第1セット。序盤から均衡した流れに。セット中盤になってサーバーとして投入。トスが高すぎていまいちなミート。運良く相手が取ってくれたこともあり、ミスせずに済んだが、攻めきれなかった。その後、点数が24-24に。デュースの接戦の末、相手がセットを取った。
続く第2セット。切り替えて序盤からエンジン全開で相手を突き放す。先輩方が魂を込めたプレーで俺たち後輩を引っ張った。俺もその波に乗る。その思いを持って打ったサーブはネットに。不調かなぁ、と思いながらコートから下がった。だが、先輩方や同期達がそのミスを消すようにプレーしてくれ、2セット目を取り返し、フルセットに持ち込んだ。
第3セット。序盤から中盤は均衡した流れに。そのままコートチェンジをした。俺は出ようと思ったけど、流れを壊す気がして、出るのをやめた。すると同期の仲間がサービスエース。その後ブロックを量産し、一気に流れを持って行った。そのまま迎えたマッチポイント。相手のスパイクがエンドラインを超えた。無事勝利。ベスト4を決めた。
だが、俺はとても悔しさが残る試合になった。そんな気持ちの中先生が一言声をかけてくれた。
「次の相手ならお前やってくれるだろ?」
この一言に救われた。宿命の相手からサービスエースを取ったんだ。自信を持ってやればいい。思いっきりやればいいんだと思った。
そして迎えた宿命の相手との準決勝。赤のユニフォームで負け続けているから、青いユニフォームを着よう。その一言で青いユニフォームを着た。先輩方と過ごした青い日々を思い出した。そんな先輩方をここで終わらせる訳には行かない。強く、とても赤い闘志が胸に湧いた。
第1セット、序盤は均衡した流れになったが、中盤に連続ブレイクを食らった。点差が離れた中、俺は先生に「行きます。」と言ってコートに入った。前回のリベンジ、そして3年生を引退させない。その思いでいつもの声を出した。
「一点取るぞー!」
その声とともに放ったサーブは相手を崩す。そこからレシーブで粘り、大エースが相手のリベロを弾くスパイクを放ち、得点へ繋げた。
その後もう一本放ったサーブは相手を崩せず、相手エースが見事に決めた。もう少し点数取りたかったな、そんな思いでいた。その後、自分たちのバレーが出来ていたが、25-20でセットを落とした。
第2セット。序盤にセンターに3年生を出し、勢いが増した。しかし中盤に相手の連続ブレイク。悪い空気を変えるべく、俺はリリーフサーバーとしてコートに。絶対に勝つ。その思いで放った1本は相手エースを崩し、チャンスボールに。セッターは大エースにボールを上げた。
「行けー!!」
思いを乗せたボールは相手のブロックに。そのまま相手エースに打たせ、ブレイクを阻止された。ブレイクできなくて悔しかった。だが、流れを変える仕事はできた。
その後の3年生の先輩のサーブで連続ブレイク。危機的状況から試合を元に戻してみせた。そのままデュースまで持っていった。
その後25-26。相手が1点のリード。ベンチは全力で応援。まだ行ける、セットを取ってくれ。裏の3年生エースが放ったスパイクは相手を崩す。チャンスボールが来た。点数が取れる。ボールは大エースに託した。全員の想いが乗ったボールだった。
だが、その思いは砕かれた。
相手のブロックに引っかかり、セットを落とした。
セットカウント2-0。沢山お世話になった先輩と挑む最後の戦いが終わった。
-エピローグ
「赤い」闘志と「青い」日々。
その色は俺に勇気をくれ、俺の人生を彩る中で欠かせない色になった。
共に過ごした日々、そしてその闘志は忘れることは無かった…
先輩と一緒に戦う部活に、幕が閉じた…