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ニュージーランドから帰国後の日本の生活

 コロナ禍真っ只中での帰国が落ち着いたと思ったら次々と問題が発生し、やはりnoteを放置してしまいました。初めから続くかな〜?と思いながら始めた事なので、今こうして帰ってきたことが逆に自分で驚きです。おにぎりおかえり〜

 日本に帰国して三ヶ月半経過しましたが、この期間に色々なイベントやハプニング等々あり我々夫婦は「え?3ヶ月半しか経ってないの?」という感覚です。ここでは改めて実感した日本の生活、社会に対する疑問のようなことをコメントしてみたいと思います。


紙好き

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 皆さんご存知のように、日本のお役所関係はいまだにほぼ全てが紙処理です。住民票、年金、保険等々の手続きで紙切れ数枚を記入するために数え切れない程役所へ足を運びました。そしてお役所からの通知は100%郵便での通知。そのため手続き完了まで2週間から1ヶ月かかるのはザラですね。オンラインシステムを導入していってはいるのでしょうが、新しいシステムに置き換えるまで10年程かかるのでしょうか…

 夫のサモサ氏(IT関連勤務)はよく、「日本は良いテクノロジーを持ってるし賢い人も多いのに、テクノロジーを使いこなせてない事が多い。」と言います。コロナ禍でだいぶペーパーレスが進んだようにも見えますが、こういう緊急事態にならないと動かない社会の体制が問題かとも思います。


過包装

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 先日頂いた小さな箱入りのブラウニーをお茶と一緒に開封したのですが、ブラウニーを完食してみるとそこに5つのゴミが生まれていました。外装箱、内装アルミ箔袋、フィルム、プラスチック容器、そしてプラスチックスプーン。ブラウニーを一切れ食べることがゴミ製造機になった気分でなんだか罪悪感でモヤつきました。

 今年4月1日よりプラゴミの規制が新たに始まったようですが、この過度の包装にはどこまで影響を及ぼすのでしょうか。一生懸命にパッケージをデザイン、製造されている方々には申し訳ないのですが、正直この包装は無駄です。日本のパッケージデザインは世界でも評価されていますが、違う形で進化していってほしいです。そして無駄包装分の値段を下げてくれ〜


電話対応のみ

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 帰国後は引っ越し、家具の購入、お役所参り等々、たくさんの作業に追われていました。そこで絶対避けられないのが問い合わせという作業ですね。ニュージーランドではほぼ必ずと言っていいほど、どこの問い合わせ先にもEメールアドレスが記載されていました。個人的には24時間利用可能で問い合わせの記録も残る文面のやりとりが好きだったりします。

 日本では全てがそういうワケに行きません。問い合わせの基本は電話。 Eメールの選択肢や問い合わせフォームがあればラッキー。先日、電話での問い合わせで対応していただいた際に対応者の方から間違った説明を受けた為、サービスが受けられなかったことがありました。これに関して会社側は、「誰が電話で対応したか分からないので確認できません。」とのこと。もちろん私が対応者の方の名前を覚えているはずもなく、その件は立ち消えました。こういう場面で、メール等の文面の記録があれば簡単に問題を解決できるし、会社側のフィードバックにもなると思うんです。誰かの問題を指摘しようということではないのですが、問題が発生した場面から追ってシステムの改善を考えられると思います。あ、でも事故報告書等は電子システムでしてほしいですね、紙での記録は要りません!


マニュアル第一

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 これはもう、日本の教育システムの中で育った全員に染み付いたことかもしれません。マニュアルやガイドラインはもちろん必要で大切ですが、それが100%いつも正しいとは限らないですよね。マニュアルやガイドラインはあくまでも基準や参考にするものであって、それに頑なに支配されているのは本末転倒な気がします。

 ある日、某チェーンカフェでチーズトーストを注文しました。チーズの味にもよりますが、私はブラックペッパーを上に散らして食べるのが好みです。受け取ったチーズトースト用に「胡椒借りれますか?」と聞いたところ断られました。コロナ感染の影響で客に調理器具を触れさせられないのかと思い、「じゃあ、トーストを持ってくるので胡椒をかけてもらえますか?」と聞いたところ、店員さんは同僚と相談した後に同じ結果を私に報告されました。あまりにも柔軟性のない対応が夫との間で笑い話となり、「これが日本よな〜」と思いながらチーズトースト胡椒なしをほおばりました。

 これは日本の強い縦型社会を垣間見た瞬間だったのかもしれませんね。フロントラインは上司の指示の下に動き、想定外の事態は上司の許可を得てからでないと例外対応できない、というような。これも良し悪しあるでしょうが、もう少しフロントラインに自由と創造があってもいいのではと思います。


必要以上に追求された利便性

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 日本に帰ってきて再々実感したのが選択肢の幅広さ。個別化された商品やサービスが充実しているのは素晴らしいことですね。100均へ行ってキッチンのスポンジを一つ買うにしても、10種類以上選択肢があり、さらに色違い、サイズ違い…と個人のライフスタイルに合った商品が選べます。他にも、”ある用途の為だけに開発された商品”とか、「もうちょっとこうだと良いなという声を商品化しました!」というようなものが溢れていて、ただただ すごい…(引き気味白目)と言うばかりです。

 ニュージーランドでは現役商品が機能していて売れているならそれで良し。気に食わなければDIYすれば良し。細かい商品開発に時間、労働、予算をかけることは割に合わないといった具合です。これに慣れてしまえば、「使えるならそれでいいんじゃない?」という結論に至ることがしばしば。

 今では日本で便利さが追求され続けている物に囲まれた生活、ありがたく甘やかされていこうと思います。


消費好き

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 毎回、毎回、街に出てデパートとか行く度に思うんです。「みんなそのお金どこからでてきてるの?」と。底なし金の沼が一家に一沼あるのでしょうか。リタイア後世代のショッピングは理解ができますが、若い世代のお買い物客を見ていると「だ、大丈夫なのかな…?」とかお節介にも思ってしまいます。人の大切にする価値はぞれぞれなので本人が幸せならそれで良いのですが、社会全体が消費好きだということは間違いないと思います。

 しかし今思えば、6年前の私自身もこの消費サイクルの立派な一員でした。社会人になりお金を稼いだからちょっと贅沢したい周りのみんなとキラキラしたい!と思い 見境なしに全ての消費水準を上げていたのだと思います。その”ちょっと”が全部になると塵も積もればなんとか です。

 ニュージーランドでの生活を終えた今では、自分が本当にお金をかけたいものにだけに投資することが身についたように思います。「ニュージーランドに来てから服も化粧品も(日本に居る時ほど)買わなくなった」とよく聞きました。みんな他人のファッションなんて思ってるほど気にしてないし、好きなものを好きでいる事が一番なんです。そういった環境に身を置くと、今まで必要じゃないのに周りに同調するために握りしめていたものが少しずつ離れて行きました。

 さすがに日本では社会人として、ニュージーランドと同様には振る舞えませんが、自分が大事にしたいものを意識することは忘れないようにしたいです。


次回はエスプレッソ

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 久しぶりにnoteに帰ってきたので数カ月分の勢いが溢れてしまいました。長文となってしまいましたが、読んでいただいてありがとうございます。共感していただいたり、興味深い点、おもしろかったなどなどがあったら♡を押してください😊 ただただ嬉しくなります🌸

 次からは、新しく?改めて始めた趣味、エスプレッソコーヒーを自宅で練習する☕、という内容で書こうかと思います。これはどちらかというと成長録になればいいなと思ってる物なので、内容がぺらぺらになるかもしれません。それではまた〜👋

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