「P」の記録_File10
File10:素敵なお坊さん
幼い頃、多くの人が警察官やケーキ屋さん、スーパーヒーローに憧れを抱いたのではないだろうか。大抵の場合、それくらいの年頃の夢としては「ケーキ屋さん」や「お花屋さん」のような見栄えのよいものを売る仕事や、「警察官」「スーパーヒーロー」のように正義の味方の代表格が選ばれる。きっと、①知名度②見た目もしくは心の美しさ、の2点が決め手なのだ。「消防士」「アイスクリーム屋さん」なんかもその類だろう。その他に両親や親類、恩人などの仕事や行動から彼らに憧れを抱いたり、恐竜や宇宙、サッカーやピアノといった自らの興味を活かすような夢持ったりというパターンがあるだろうか。しかしそうなると私はひとつ、どうしても納得のゆかない夢を耳にしてしまったことがあるのだ。
「素敵なお坊さん」
Pはそう言った。年端もゆかぬ幼子が仏教など知る由もなく、そもそもPには寺に行ったり法事に参加したりという経験すらなかったというのに一体どこからそんな結論を導き出したのか。断っておくが「お坊さん」になりたいと夢見ることは「高く善き志」ではある。しかしそれはある程度の人生経験を積み、学問や人の心をび考え抜いた末に導かれる答えではなかっただろうか。ショーウィンドウに並ぶケーキや咲き誇る花々を売る仕事、困っている人を勇気や正義を持ってして助ける仕事に憧れを抱くのが3歳児の大概ではなかろうか。どこの3歳児が木魚を叩き経を読む丸坊主の徳の高さに感銘を受け同じ道を志すというのだ。
当時幼かった私は、幼児の将来の夢として「素敵なお坊さん」という回答がいかに異質なものであるかを認識できていなかった。そのせいか、はたまたPという人物の特異性のせいか、私が真っ先に導いた感想は「Pにピッタリだ」という、てんで見当違いなものだった。驚くべきことに、そう思ったのは私だけではなかった。誰もがそう思ったのだ。
Pには、お坊さんになりたいという夢が尤もであると漏れなく全員に思わせるほどの何か(その正体が判れば苦労はない)があった。
ある夏の休日、公園でPと兄弟は水遊びをしてた。Pは泳ぐでも走り回るでもなく、ただ静かに噴水の下で胡座をかき頭から水を浴びていた。それを見た知らない子供連中に「お坊さんがいる」という聞いたことのない絡み方をされているのを目撃して以来、私の少しばかり残っていた「素敵なお坊さん」に対する懐疑心は忽然と姿を消してしまったのである。
これでは最早、ある程度見知った保育所の職員や保護者連中が納得するのは仕方がない。そこまで考えて問いが解決していないことに気がつく。
「素敵なお坊さん」とは何だろうか。
ごく最近になって気がついたのだが、Pの場合は「僧侶」でも「坊主」でも「おぼう(○●●)さん」でもなく、「おぼう(○●○)さん」なのではないかと疑い始めている。
少なくとも坊主には違いないが寺の修行僧の類のことではなくて、その独特の雰囲気には「坊」という年齢も性質も不特定な呼び名に「さん」まで付け加えるくらいが丁度良かったのかもしれない。
そう考えると「素敵なお坊さん」というのはPそのものであり、Pは若干3歳にして自分にしかできない職業、つまり天職を見出していた……?
Pとは一体何なのだろうか。