ヨソモノさんの扁桃体人格は扁桃体を持っている人間を乗っ取って動かすために「欠如」に意識を向けてくる
欠如に意識が向くことと、欠如に気づきやすいことは別だよね。
どうにかしようと思っている時点で欠如に意識が向いている。
どうしようじゃなくて「気づきやすいんだよね」でいいんじゃないのかな。
欠如に気づきやすいなら、満足も気づきやすいはず。
欠如に意識が向いているってすぐ気づけるんだから、それはメリットだし才能でしょう。むしろ気づきやすいからこそすぐに満足や充実錦を向ければいいって気づいて方向転換できる。
不妊治療とか子供が出来ないことで悩む人も、やっぱり欠如に意識が向いている。今ある生活が楽しいとか、この人といらられて幸せだ、この家って最高だな〜、じゃなくて、いないこと、ないこと、欠如にぐいぐい意識が向いている。そんな家庭に生まれてくる子供も絶対に欠如に意識が向く。
欠如意識はすでに母体にいるときからはじまる。産む側の人間が欠如に意識を向けていればその子供は胎児のときから欠如に意識が向きやすい状態が作られるってことになる。
だから常に、自分自身のために満足や充実や喜びにすぐ意識がぱっと向くようにしていると、けっきょく胎教にもいいし家族円満、何より自分が最も幸せだと感じられる状態が育児にも家庭にも社会にも最も良い影響を生み出す。
これが自然の原理、というもののようだ。
私は他人の欠如意識にも自分の欠如意識にもすぐ気づく。
が、それが悩みだった。それがよくないことに思えていたが、すぐ気づくんだったらすぐ切り替え点がわかるんだからそれって天才じゃん。
ただ、私は今まで欠如に意識を向けることになれすぎてしまって、自分の満足や喜びを見出すことが難しくなってしまった。意識を向けるもの向けるものすべてが欠如に感じられる。はあ…。
芸術活動もすぐにやらなければと思っていたら、扁桃体人格に乗っ取られていただけだったり、単に嫉妬心や復讐心から頑張ろうとしていただけだった。
でも扁桃体人格のいやらしいところは、外に対する嫉妬心や復讐心に見せかけて、その扁桃体を持っている人間本体にこそ復讐したり嫌がらせをしたりするのが目的で、本体に恐怖を生ませるように誘導してくるのだ。
あいつらだけ幸せだぞ〜とかおまえを不幸にした人間が幸せでいいのか〜とか。いいよべつに。だってソレも欠如じゃん、扁桃体が喜んで強化されてこっちを乗っ取って我慢させてくるだけじゃん。だれがおまえらなんか喜ばせるために我慢も嫉妬も復讐もするかよバーカ。こっちに嫌がらせして乗っ取って恐怖を稼ぎたいだけのいやしんぼのくせに。