「親」子関係と「きょうだい」ゲンカ|嫉妬と欠乏感と争いのメカニズム
「親」は、産みの人じゃない。育ての人じゃない。愛してくれている人じゃない。
一切だ。
宇宙視点で見ると、この地球上のすべてのものが地球を含めて「親」からもらっているものでできている。
肉体、容姿、才能・能力、経済力、鉱物や木材と言った資源、魚介類に動植物、空気から大気からなにからなにまで「親」の力でできている。
この「親」からもらっているものが嫉妬になる。
あいつだけ恵まれていてずるい。
あいつだけ持っているのがずるい。
奪ってしまえ、壊してしまえ、捨てさせてしまえ、なかったことにさせろ。
だからよくこう言う。
「恵まれている人のある部分を妬んでいる人がその妬んでいる部分に恵まれることは不可能である」
その人が「親」からひいきされて恵まれていてくやしい、愛されていて自分は愛されていない、悔しい、だからどこかでひいでて「親」に愛されようとしたり、自分のほうが優れていると「親」に見せて対抗意識を燃やす。
はてはかなわない、勝てないと思うと、その人から奪ったり、争ってなかったことにさせることもある。
ときに「親」への嫉妬や怒りから周りの人に嫌がらせをすることもある。
本人は気づいていないが、根底には嫉妬があり、「親」から愛されていない、嫌われている、自分はいらないやつなんだ、という欠乏感がある。
しかしそれもすべて「ズレ」である。「ズレ」はとかく不快である。嫌悪はなはだしく、妬ましいと感じ、自身に恵まれているものを棚にあげて見えなくしてしまう。あげくに自分よりよいものを持っている人から「親」からそんないいものを与えられるなんて妬ましい、憎たらしい、よこせ、捨てろ、だめになってしまえばいい、と相手を攻撃しだす。
それも「親」に愛されていない欠乏感からくるものであり、ひいきしている「親」への妬み怒り恐れであり、相手への不快な感情はすべて、「親」からの愛が根底にあり、自分の上下が「ズレ」ているから引き起こされているものだ。
天上の自分と地上の自分とがしっかりつながり直せれば、「親」から愛されていないことが欠乏感を生んでいたか、妬みそねみを生んでいたかがよくわかる。
地球のものはみなきょうだいというが、「親」から与えられたもので暮らしているわたしたちは、そういう意味で、兄弟げんかをして「親」の愛を奪い合うか、あなたのそれもいいね、自分のこれもいいでしょと「親」からの愛を認めあって暮らすかで、人の心も変われば世の中の様相まで変わる。
人のあり様がそれならそうであるし、世の中の様がそうであるなら、そうなのである。