人の数だけある世界の形。新しい発見をするために、わざわざ遠い海外まで出かける必要はない。
人間の数だけ世界が存在する。いや宇宙が存在すると言ってもいいのかも。というのも、同じ世界を我々は生きているようで、実際は全く別のモノに目を止めたり、気にかけたりしながら生きているから。それぞれの意識が世界を形づくる。
たとえば、この世界を「マネーゲームの場」とする人と、「魚釣りだけをし続けたい」人とでは、同じ地球に生きていながら、まったく違う世界を見ている。お金を通して、お魚を通して、世界を眺めている両者が生きる世界はそれぞれにあるのだ。
だから人の話を聞くことは面白い。へぇ、そんな世界って存在するのか、と自分1人では手に入らないような発見がそこにはある。
オレの友達で、霊感が強くて普通に見える人がいる。そして、その友達が最近「覚醒」したらしくて、サードアイと言って額の目で世界を見ることができるようになったんだとか。あの、ドラゴンボールの天津飯みたいにおでこに目があるやつ。
いつも、とても興味深い話をしてくれる。オレがバカにしたりせず面白がって聞くもんだから他の人には言わないような話までしてくれる。
昨日も、チャクラがどうとか、人間の姿をした神様の存在がどうとか、サードアイで見た世界がどうとか、サイキックヒーラーのレベルがどうとか、いろんな話を聞かせてくれて、めちゃくちゃおもろいなと思って聞いていた。
オレは霊感が全くない。でも、霊の存在は信じている。まぁいるんだろうなぁ、くらいのスタンス。そして、この友達の話、結構周りの人には鼻で笑う感じで信じてもらえないらしいんだけど、オレは普通に信じてる。あるんだろうなぁ、そんな世界も、というくらいのノリで。
そして、オレの周りにそういう「超能力」的なパワーを持っている人はその友達だけなんだけど、その子の周りには不思議とおなじ種類の人たちが集まってくるらしい。類は友を呼ぶってやつ。そこがまた面白い。
話を聞いてみると、霊視できたり、呪術使いだとか除霊だとか、他人の意思が手にとるようにわかる、だとか、いろんな能力の持ち主たちと、縁あってつながる機会が多いんだとか。何その世界。そんな世界があるのか、とオレは面白くいつも話を聞いている。
これに限らず、みんななにかの専門職についていたり、オタク活動で何かしらの知識に飛び抜けてたりすることが割とある。それぞれの個人が、その人生の中で何を見つめることに時間を割いているかを、知ることはとても楽しい。新しい世界に触れるきっかけになるし、それが自分の世界を拡張することだってある。
人の話は、とりあえず自分の意見を挟まずに、「ふぅーん」と、聞いてみる。ほとんどの人間は、相手の話を聞くよりも、自分の話を聞いてもらうことの方が何倍も好きだ。興味を持って話を聞くと、ほんとにみんなよく喋る。自分の近くにいる人が、思いもよらないようなことに興味関心を持っていて、それについて熱く語り始めたときなんて、最高に楽しいよな。
どうぞどうぞ、気が済むまで喋ってあなたの世界を覗かせてくれよと、思う。話があまりにもつまらない時はさっさと切り上げるけど。そうやって、我々は一見同じ世界を生きていながら、実際は全く別々のそれを生きている。そこに上下も優劣もない。
ただ、そういうものがある。そういうことがある。と、自分の中で理解することが、他者を尊重できる自分を育む。世界の形は自分が持っているものだけじゃない。人の数だけある。
人生に驚きと発見をもたらすのは、自分にとって異質な世界だったりする。わざわざ、アマゾンの奥地や、アフリカのサバンナまで出かける必要はない。近くにいる誰かの話しを聞くこと。それだって知らない世界の入り口にほかならない。