何かコトを始めようとするときに持つべきイメージ。目の前の巨大な岩を、下り坂に転げ落とす。
何かコトを始めようとするときに、細部に目を止めてはいけないな、と思う。まずは全体の構造や仕組みをつかむためにザックリ大雑把でいいから、やり切ってみる。
例えば、ギターを練習する。左手のコードの押さえ方、右手の弾き方、リズムやテンポ、覚えないといけないことはたくさんある。そして、その一つ一つが、深掘りすれば途方もない深さだ。始めからキレイな音色で弾けることを目指すと、なかなかうまくいかない。そんなこより、多少響きなんか粗くてもいいから、一曲弾けるようになってみる。
自分の中での100点を目指そうとして、イントロの部分でつまずいてしまうより、10点の出来でもいいから曲の最後まで弾けるようになってみる。クオリティをあげるのはそれからでいい。自分の中に達成感や、前進している実感がないと楽しくならないし、楽しくなければ継続も難しくなってくる。
絵を描こうとしたときに、最初から上手く描こうとしてはいけないし、そもそも最初からできるはずがない。下手でもいいからとにかく1枚仕上げてみる。うまくいったところ、いかなかったところは、2枚目にいかせばいい。とにかく、1枚描いてみて、それを描きあげた自分をまずは褒めるべきだ。下手だろうとなんだろうと、とにかく作り上げたのだ。すごいじゃん、オレ、と自分を褒めるのだ。
センスとか器用とか、才能とかそんなことにとらわれてはいつまで経っても何もできない。何も始まることができない。何かをするということは、坂道のてっぺんから巨大な岩石を転がす作業に似ている。最初は重くてなかなか動かない。それでも動かそうと、とにかく手足を動かす。
いろんな工夫を考えながら。そうしているうちに少しずつその岩が転がり始める。初めはゆっくりと。そうして岩を根気よく押し続けていると、次第に勢いよく坂道を転げ落ちる瞬間がやってくる。そこから先は、1番初めに比べてラクに楽しく転がすことができる。そのイメージで、最初は何するにも少しの苦労はつき物かもしれない。
とは言え、その初めの苦労だって楽しみに変えることができたら、それはもはや苦労ではなくなる。やってることの苦楽は、やっていることそれ自体の内容よりも、それをやる自分の心構えや視点によって変わる。
始めから細かいことなんか意識しなくていい。ざっくりと大雑把でいいから、とにかくやってみるのだ。以前、職場の先輩にとても教え方のうまい人と、何回話を聞いても訳が分からない人がいた。両者の違いはここに書いたことにある。
前者は、とにかく大雑把でいいから全体のイメージを掴むことを優先して教えてくれた。もちろん、うまくはできない。それでも、できた部分を褒めてくれたのだ。おまえこれまだまだ上手くできてるとは言えないけどな、先週思い出してみろよ。できなかったことができてるだろ?前に進んでるんだから、不安になるなよ、大丈夫だ。と、繰り返し言葉をかけてくれた。当然、オレにとっても楽しく、自分の技術が上がるスピードも早かったように思う。
一方で後者は、初めから細かいことまでできていないと、ダメ出しの連続だった。ここがダメ、あそこがダメ、はい最初からやり直しの、日々。ひどく苦痛だったために、やる気も削がれた。これなら独学でやったほうが自分のメンタル的にも、気楽にやれて上達早そうだけどな、と感じた。だから、その先輩に聞くコトをやめ自分で調べてやるようになった。ところが、「何故オレに聞かないんだ?質問はないのか?」などと言われる。結果、その仕事はやめた。
少し話がズレた気がするが、とにかくコトを始めるときには、初めは雑でいい。ざっくりでいい。うまくいかなくて当然。目の前に据えているのは巨大な岩石なのだ。少しずつコツコツ動かそうとすること。その継続の先に勢いよく転がり出す瞬間は必ずくる。そのときの、ひゃっほーい、やったてよかったー!の為にも、楽しんで続けられるイメージと実践から。
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