ゴールなどなくていい

さて、最近は止めることなく自分を動かし続けている。仕事、日々の雑事、趣味、とまぁあんまりダラダラする時間を過ごさないようにしている。

そうすることで、こぎ続けるからこそバランスが取れる自転車のように、自分自身をいい感じに乗りこなすことができるようにも思う。

この頃は、文章によるアウトプットはほとんどしていなかった。この投稿においても、特に書きたいこともなく、書くべきこともない。いつものことである。

なにか、目的ありきで行為をするとなると、自分の動きが妙に硬くなる感じがある。それは、義務感といってもいいかもしれないが、文章においても「これを書くぞ!」と決め込んで書こうとするとどうもうまく言葉が出てこない。

ということで、出てくるものを出てくるように自然に任せるままに書いている。目的があるとすればそれは、書くこと、だけでいい。書くことさえすれば内容なんてどうでもいい。書きさえすればスッキリする。そう言うものだ。

文章に限らず、目的ありきの行為は基本的に自分から楽しさを奪うように見える。のびのびと、ゆるゆると、リラックスして、そういう構え方を自分から奪うように思う。

これが、必要な場面も人生においてはきっとある。多くの人が行きたくもない会社に行き、そこで、社の目指す「目的」を遂行する歯車となって労働に励む。楽しければ良いが、ほとんどの人はつまらんなぁ、やめたいなぁ、などと日常的に感じているんじゃないだろうか。

ならばせめて、自分の自由になる時間くらいは、目的から自分を解放して好きに自分を動かせばいいと思う。とは言ってもこの時にポイントになるのが「動かす」ということだ。

動きが止まると、どんどんダルくなる。空いた時間ゴロゴロスマホいじってるだけじゃ、余計にダルくなる。なんでもいいから、自分を動かす。自転車のようにバランスを崩さずに自分を走らせ続けることが大切だ。

こんなことにして何になる、みたいなことを放置しない。やりたいならやればいい。やることがゴールでいい。

文章だって中身なんかいらない。書くことがゴールでいいのだ。自分の内側に積もった埃を払う作業に似て、自分を動かすことは爽快な気持ちをもたらす。


あ〜、金麦飲みてぇなぁ