メンヘラのリスカと不良の喧嘩傷 痛みを伴う同属意識
戦国時代、武士の間では「股ぬき」と呼ばれる行為が流行していました。
これは、自らの太ももを刃物で斬りつけ、度胸を証明するものです。その傷跡は誇りとされ、逆に傷跡のない肌は恥ずべきものとされていました。
このような痛みによる証明………
どこか狂気じみた儀式ですが、現代に生きる私たちにも共通するものがあるのではないでしょうか。
今はもう自殺してしまいこの世にいないのですが、僕の友人にも令和の「股ぬき武士」と呼べるような人物がいました。
彼女は躁鬱で、重度の自傷癖を持っており太ももを無数にカミソリで切り刻むレッグカット、所謂「レグカ」を常習としておりました。
ある時、彼女に「お前、股ぬきする武士かよ」
と冗談めかしていったところ、大いに笑い、自殺する時まで「俺は武士だ。令和のラストサムライだ」と自称していたことを覚えています。
滑稽な話ですが、そこには奇妙なプライドと同属意識への渇望が垣間見えました。
時代を問わず、どこにでも傷を誇る文化やコミュニティが存在します。
武士の股ぬきや切腹
メンヘラのリスカ、od、パパ活
不良の喧嘩傷、犯罪行為、根性焼き
………いずれも「痛みを共有することで生まれる連帯感」を象徴していると言えます。
腕の傷の深さがそのまま同属意識の深さに比例するのです。
(現に、自傷界隈なんかじゃ浅いリスカより脂肪や骨が見えるほどの深いリスカの方が偉い!と言った我々には理解し難い価値観が存在します)
それがたとえ破滅的であっても、人間は孤独に耐えられないからこそ、何かに属したがるのです。
しかし、この「痛みを共有することでしか成立しない同属意識」は、人生を前進させるどころか後退させるもの。
武士が股ぬきをしたところで戦が強くなるわけでもなく、メンヘラが自分を傷つけたところで幸福を掴めるわけではありません。同様に、不良が白い目を向けられながら騒音をたて珍走バイクを走らせる行為に「義理と人情」を見出そうとするのも、非常に空虚な行為です。
それでも彼らが非生産的な自罰に従事するのは、そうしなければ仲間に認められないからであり、孤独の恐怖から逃れられないからだと思う。
メンヘラにしろ、ヤンキーにしろ、彼らが一番恐れる言葉は「ファッション」です。浅いリスカじゃファッションメンヘラなんて言われかねない。
人は孤独に弱い生き物です。
私も中学時代不登校になり、関わる人間はネットで知り合った彼女だけという時期がありました。その彼女がパパ活をしていたことから
「学校にも行ってない俺が稼がないなんてのは甘えなのでは?」
と焦りに駆られ、彼女からの助言のもとパパ活の料金表を作りTwitterで募集をかけていた時期もありました。
その彼女とバイセクシャル3Pパパ活をすることこそ、最大の愛だと思ったわけです。
結局実行には移さなかったものの、今思えばあれは「自分も傷つかなければ、同じ場所にいられない」という思いに駆られていたからだと思います。
自傷や薬物にのめり込まなかったのも当時の中学の先生が「引きこもってないで空手でもやってみろ」と道場に引きずっていったからです。
そうでなければ、彼女と一緒に仲良くワクワクくねくね薬物ライフを歩んでいたでしょう。
地雷ファッションの袖から覗くリスカ跡は可愛いものとされますが、道着の袖から覗く自傷跡は可愛くありません。
地雷系が薬物で酩酊していることは
「ふわふわだねー♡」だなんて可愛く言われたりもしますが、空手家が薬物で酩酊しても弱くなるだけです。
”芯”を持たなければ異常者は死にます。
孤独で精神が虚弱な時、人は簡単に負の同属意識に飲み込まれます。自傷だろうが薬物だろうが犯罪だろうが、なんでもやってしまうでしょう。新興宗教が狙いを定めるのは、いつも孤独な病人と老人です。
ただし、ありきたりな言葉ですがそこに“芯”があれば負の同属意識に飲み込まれることを防げるかもしれません。
この芯というのは人によって様々でしょうが、友達や恋人、家族にそれを委ねてしまうと、いずれ崩れます。人間関係は壊れやすく、信頼も簡単に裏切られる。
私のnoteを読んでるような異常者の皆さんは特にそうでしょう(大悪口)
私にとっての芯は肉体です。強くあり続けることが私の芯であり、信仰なのです。
この芯のおかげで私は自傷も薬物もやらない。シーシャすら吸わない。
かつて「筋肉に悪いから吸わないってw」
と嘲笑混じりに言われた時、僕は謎の誇らしさに包まれていたことを覚えています。
ある友人は勉強を芯にしていて、地雷ファッションを好み女遊びをするが、薬物にも犯罪にも手を出していない。薬物は思考力に影響するし、前科は進学の妨げになりますからね。
一度女の財布から金をすってしまったという事件がありましたが
「俺は学歴が無いと死ぬ。前科は避けたい」
と翌日返しに行っていました。勉強、学歴という芯が無ければそのまま女の金スリまくりニキにでもなってカスのような人生を歩んでいたことでしょう。
芯がなければ、我々のような異常者はすぐに負の同属意識に飲み込まれ、最後には破滅する。
これを避ける為には、他人や恋人等不安定なものじゃなく、自分自身で完結させられる“芯”を持つことが必要だと思うのです。
それが創作でもスポーツでもなんでも構わないが、何かしらの芯を持つことで幸福になるとまでは言わなくとも、不幸への転落を少しでも防ぐことはできるでしょう。