あの日、ほぼ日の永田さんに聞いたこと。#バトンズの学校の懇親会
先日、いろいろな出版業界の方とお話しできる機会があった。「バトンズの学校」最後の日、懇親会でのことである。いままで講師をしてくれた古賀史健さんが、わたしたち生徒と、古賀さんが尊敬する方たちを会わせてくださった。
まだ何者でもないわたしにとって、こういう機会は本当にありがたい。なにかひとつでも、自分の身になることができたらいいなと、前日に徹夜で名刺をつくるくらいの意気込みだった。
そのご褒美かのように、懇親会では、ほぼ日の永田さんという方と同席させていただいた。ライターとしてトップを走る古賀さんが、尊敬している方である。
永田さんは、「ほぼ日刊イトイ新聞」を運営する株式会社ほぼ日のライターであり、編集者だ。現役で活躍されている自分がなりたいと思っている職業についている方なのだ。右隣に永田さんのいる状況、1秒たりともこの時間を逃したくないという想いで、同席したわたしたちは熱心に質問をした。そして、永田さんに答えてもらった言葉を、お酒のはいった脳にむち打ち、記憶させていく。
だから1週間たった今でも、永田さんから伺ったことは覚えている。断片的な部分もあるけど、時々思い出せるくらいには鮮明だ。
なかでも印象的だった言葉がある。
「読者のよみたいと思っていることを、書いただけなんです」。
永田さんがかいた「オリンピックを観ている。」というコラムの話題になったとき、おっしゃっていたことだ。
「オリンピックを観ている。」とは、ついこの間、2022年の冬に行われた北京オリンピックをみて、永田さんが思ったことを書き留めたものである。目次には全18回とあり、どれもが2,000字ほどの分量だ。けっして少なくはない。
懇親会のあと、わたしも通勤中に読んでみた。これをオリンピック期間によんでいれば……。と、素直にそう後悔させられてしまった。
そして懇親会がひらかれたあの日、永田さんはどうしてこの記事を書いたのか、その経緯を聞かせてくれたのだ。
「読者の読みたいと思っていることを、書いただけなんです」。
真意はこうだ。オリンピックを観ている人が、感想をだれかに言いたい、共有したいという想いを形にしたものだという。選手がメダルを取った”あの瞬間”、アクシデントに襲われてしまった”あの瞬間”、惜しくも4位になってしまった”あの瞬間”、テレビの前で観ているわたしたちは、この高まる気持ちのやり場を探してしまう。Twitterに書き込むのもいいが、反応してくれる人がいる保証もない。でもやっぱり、この気持ちをどこかにぶつけたい。だから自分が発信するのではなくて、すでに発信している人をみつけて、リアクションを送る、共感をつたえる。そういう風にしているのではないだろうか。
「オリンピックを観ている。」は、まさにこの共感の送り先だ。よんだ人が「そうそう! わたしもそう思った!」と、興奮した感情をぶつけられる場所をつくったのだ。現に、この記事を引用した共感ツイートも、Twitterで見つけることができた。
永田さんからこれを聞いたとき、わたしは長年の疑問が解決したような、そんな気持ちになっていた。それまでnoteを100日かいても、読まれるものと、それほど読まれなかったものの違いがぼんやりとしていたからだ。
「スキ」が10個以上つくような読まれるnoteを書くには、どうすればいいのだろう。その答えが、得られたような気がした。
読まれる記事の条件のひとつは「読者視点に立ったテーマ選び」だったのだ。
懇親会の夜、わたしはバトンズの学校の仲間である32人にむけてnoteを書いた。あの場を共有した人は、今日の興奮を書いたら共感してくれるはずである。そんな場所を、探しているはずである。
そうして書いた記事は、なんと「スキ」を21個もいただいた(読んでくださったみなさま、ありがとう)。読みたいと思っているものを書くと、本当に読まれるのだと実感した。
それからというもの、「だれかが読みたいもの」を書くようにしている。noteのテーマを決めるときには、まず読んでくれる人たちの顔を浮かべ、いま考えていることに思いを馳せるようになった。どんなものを書いたら、共感してくれるだろうか。
いままでは、身の回りのことをコンテンツに育てあげるという感じだったから、ずいぶんとアプローチが変わった。
もちろんこの記事だって、そうだ。バトンズの学校のみんなが、あれば読んでくれるかなと思ってさ。