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わあ。

生きていると時々、「わあ。」と思うことがある。乗ったときに遅延していた電車が時間どおりに到着したときや、ほかの部署の人がわたしの名前を覚えてくれていたとき、そういう場面でよく使う、わたしの中での頻出単語である。

「うれしい」という言葉に、言い換えられるだろう。

今日わたしは、「わあ。」と思った。それは一本の記事をよんだからだ。

今日の朝、スクールの仲間がツイートしていたのだ。記事の内容は、「古賀史健さんをきっかけに、ライティングスクールの生徒を知り、その生徒の書くnoteをよんでいる」というものだった。

これを読んで、「わあ。」と思ったのだ。

かく言うわたしも、古賀さんから教わったうちの、一人だったからだ。毎日noteを書きはじめるようになったのは、ライティングスクールの最終日がきっかけだった。講師である古賀さんが、強引にすすめてくれたことに起因する。

わたしは古賀さんの言葉をきき、すでに開設済みだったnoteのアカウントを動かすようになった。ひとつ、またひとつと、記事を公開する。それまでキンキンに凍っていた場所へ、少しずつ火を通していくような心地だった。

だけどこの一部始終、古賀さんの言葉がきっかけで毎日noteを投稿していること、については完全に内輪のはなしだと思っていた。

けれどこうして、古賀さんとの師弟関係を知ってくれている方がいる。そして、まだまだ拙いわたしのnoteを読んでくれる方がいる。たった一人でも、すごく嬉しかった。本当はだれかに、”わたしたちの内輪のはなし”を聞いてほしかったのかもしれない。

同時に、ちょっとした責任感もうまれた。文章を、ネット上に公開しているという責任だ。フォロワーが少ないから、いままではどこか、鍵付きのInstagramアカウントの感覚があったのかもしれない。家の近くの写真や、職場の場所が判明するような写真を載せても許される、そんなモラトリアムな気持ちがあった。

でも公開する以上、書いてはいけないことは存在するのだ。毎日のように、バズるような文章を書くことはできないけれど、ルールを守った文章を書きつづけることはできる。

それをつづけた先に、また次の「わあ。」が待っていてくれるといいな。

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