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35歳の悩みと決断

こんにちは。サイバーエージェント DXデザイン室の鬼石です。
この記事は、先日行われたR35.Meetupにて登壇をさせていただいた内容の再掲になります。

プロフィール
主席クリエイター / UIUXデザイナー 鬼石広海(41歳)
2006年 博報堂アイ・スタジオ入社。Flasher / webデザイナー
2012年 サイバーエージェント入社。UIUXデザイナーとして複数サービス立ち上げ
2015年 ABEMAデザイン責任者(UI→番組クリエイティブ)
2020年 DX部門へ異動。クライアントのサービスグロース支援
2022年 サイバーエージェント 主席クリエイター着任

35歳という年齢は、スキルと経験が豊富になり、選択肢が増える一方で、キャリアパスについての迷いも深まる時期だと思います。僕もその一例で、迷いながらも大きな挑戦をしました。
これはあくまでひとつの経験談ですが、何かしらの参考になる要素があれば幸いです。

ライフラインチャート

「君の年齢でフォトショ使えないのは絶望的」
これは新入社員として初日に上司から言われた言葉でした。僕はデザインを学んだことはなく、趣味でwebサイトを作る程度の経験しかなかったのですが、奇跡的に博報堂グループのデザイン部門に配属されました。仕事の難易度に圧倒され、「とんでもない会社に入ってしまった…」と言う感覚に打ちのめされ、時々トイレで涙する日々でした。

一方、僕の上司たちは毎年国際的な広告賞を受賞するような非常に優秀な方々でした。幸運にも、僕は新人として多くの上司の下で経験を積む機会を得ました。素直さと根気強さが僕の唯一の武器で、毎日上司のスキルを観察し、学び取り続けました。厳しい6年間を経て、何とかいっぱしのアートディレクターになれました。(当時の上司たちにはただ感謝するしかありません…)

その後、僕はサイバーエージェントに転職し、複数のサービス立ち上げに関わりました。3年後にはABEMAのデザイン部門の責任者となり、UIUXデザイン、さらには番組のクリエイティブ制作の組織の立ち上げも担いました。

特に30代前半は怒涛の日々でした。

ABEMAの立ち上げ時は「無料で楽しめるインターネットテレビ局」という新しいサービスを生み出すために、藤田社長と共にプロトタイプを基に毎週議論を重ねました。作成したモックは200以上にも及びました。

サービス開始後は、様々な番組のクリエイティブディレクターとして活動しました。

「新しい地図」の3人が、脱退後初めてテレビ出演した「72時間ホンネテレビ」では、情報公開前から番組終了まであらゆるクリエイティブ制作を担当。番組の最後に演出したエンドロールが流れる中、3人が感動の涙を流し、多くのファンや関係者も感動の涙につつまれました。この仕事は多くのドラマがあり、恐らく自分の最期の走馬灯リストに入ると思います。

また、「朝青龍を押し出したら1000万円」の撮影のためにモンゴルへ行き、マイナス30度の雪山で朝青龍関の稽古に同行したり(写真右上)人気番組の「オオカミちゃんには騙されない」をはじめ、多くの番組で写真家のレスリー・キーさんと共に仕事をしたり(写真右下)と、ABEMAを通じて、デザイナーの枠を飛び越え、数多くの貴重な経験をしました。

その後、ABEMAはユーザー数を順調に伸ばし、Google Play ベスト オブ 2018やグッドデザイン賞など、数々のアワードを受賞しました。プロジェクトの立ち上げ時には僅か10名程度のメンバーで始まりましたが、わずか数年で日本中が注目するほどの大規模なプロジェクトに成長しました。その変化を最前線で見てきた経験は、非常に貴重なものでした。

そして35歳を迎えたあたりで、ふと立ち止まりました。
何者でもなかった自分が、夢のような仕事をさせてもらった達成感と同時に、やりきってしまった、燃え尽きた感覚がありました。
そして、「ABEMAに携われたのは運が良かったから。もっと成長して、成果の再現性を高めたい」と思うようになり、多くの機会を頂いたことに感謝しつつも、新しい挑戦を考えるようになりました

それからモヤモヤと悩む日々が続きました。
サービスデザイナーとしての成果が再現可能かどうかに自信が持てず、マネジメントへの転進はまだ考えられませんでした。また、独立することは、仕事の規模が縮小するという懸念から選択肢から外れていました。

次のチャレンジとして、現実世界とデジタルが交差する領域、例えばモビリティやIOTに挑戦したいと思い、様々な業界の方々と交流し、意見を聞きました。しかし、その結果感じたことは、インターネット業界と比較して進行に時間が掛かるという現実でした。また、日本企業特有の複雑な意思決定プロセスや、組織改革が迅速に進行しないといった課題を抱えていることについても理解が深まりました。
この時期から、サイバーエージェントが日本企業のデジタル変革を加速させる役割を果たせるのではないかと考えるようになりました。

様々な方々の意見を聞いた結果、僕の挑戦の主軸はこれら3つに絞り込まれました。

  • 世の中に大きなインパクトがある

  • スピード感のある仕事ができる

  • リアルビジネス × インターネット

そしてこれはサイバーエージェントで実現することが最も合理的だと自分の中で確信しました。

そんな中、社内転職サイトのキャリチャレでDXの人材募集を見つけ、速攻でポチッと応募しました。

サイバーエージェントにはさまざまな事業があり、社員の希望と事業をマッチさせるキャリアエージェントが異動をサポートしてくれます。これは直属の上司の許可が不要で、自分の意志で挑戦できる素晴らしい制度です。

その後、異動先の内藤常務に「DX管轄にデザイン組織を作り、デザインで様々なDX課題に取り組みたい」と話して、応募してから1〜2ヶ月でスピード転籍し、DXDesign室を設立しました。サイバーエージェントはとにかくなんでも早い。

異動後はまず自分の業務を確立する必要があり、広告本部のリードを利用して営業活動をしました。クライアントのプロダクトの改善やリニューアル提案を1人で黙々と進めました。

試行錯誤を重ねる中で、クライアントの経営者や役員クラスと直接デザインディスカッションすることが最も課題解決スピードが早い事がわかり、クライアントの経営陣への接触を強化し、彼らのオフィスに常駐することもありました。
ABEMAの立ち上げ時に藤田社長と共に迅速にモックを作成していた経験から、クライアントからはそのスピード感に驚かれることが多かったです。

その後、採用活動を開始し、少しずつチームが拡大。競合プレゼンでも勝つことができるようになり、プロジェクトの成長結果も見え始めました。さらにはグッドデザイン賞の受賞やクライアントからの表彰など、成果も次第に現れ始めました。

そしてありがたいことに全社総会で成果を表彰をいただき、その後、全社の主席クリエイターに任命いただきました。

今後の目標は、「日本の経営者の右腕デザイナーを育成し、デザインの力で日本を元気にする」です。

これまでの経験で、日本を変えていくのは圧倒的な熱量を持った経営者ということは間違いないと思っています。デザイナーは経営者の右腕となり、同じ目線で意思を1番に汲み取って理想を具現化し、圧倒的なスピードで世の中に出して、どんどん改善する。そんなデザイナーをたくさん輩出できる組織になって、日本のDXを加速させたいと思ってます。

まとめますと、
30代後半はキャリアについて深く考える時期だと思いますが、転職であれ、独立であれ、社内での新たな挑戦であれ、何かに挑戦することで人生はより楽しくなると信じています。
そして、自分自身の軸を持ち、自分の目と耳で確認し、自分で選んだ道を進むことこそが、最も楽しいと感じます。

最期にこれはサイバーエージェントのスローガンの「会社を、楽しもう」です。会社からの指示を遂行することも重要ですが、会社に所属する以上、その会社の力を借りて大胆な挑戦をすることで、もっと楽しむことができると信じています。

人生は一度きり。だからこそ、楽しみましょう!


長文になりましたが、最後まで見ていただきありがとうございます。もしDXDesign室について興味をもっていただけたら、ラフにお話しましょう!
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