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未完成の亡き妻への手紙 #秋ピリカグランプリ2024

「そろそろお迎えが来る頃かな」そんな独り言を言いながら、義和は窓際の白いベッドの上で元気だった頃を思い起こしていた。この病院に入院してそろそろ八年が過ぎようとしている。来月は誕生日だから古稀を迎えることになる。世の中も随分と変化しているようだが、義和の時計は止まったままだ。朝の巡回で看護師がやってきた。いつも気軽に話しかけてくれる看護師で看護学校を出たばかりの新人看護師だが、義和にとっては孫娘のように感じる存在だった。

「蔵下さん、どうですか今朝の調子は。朝食の前に体温を計りましょう。何か変わったことがあれば教えてください」
「ヤァ。友ちゃん、今日も元気だね。その声を聞くだけで元気をもらえるよ。私は相変わらずで、もう文字を書く力も無くなってきたから、時間は残されていないみたいだよ」
「もう、蔵下さん、そんな弱気なことでどうするんですか。まだ、奥さんも向こうの世界から呼んでませんよ。もっと長生きして、昔奥さんに書いていたようなお手紙の本を書き上げるんでしょう。死ぬ気で生きてくださいね」
「あはは、死ぬ気で生きろとは面白い表現だな。私には思いつかないよ、そんな組み合わせ」
「あちゃー、ごめんなさい。私、国語は全然ダメだったんですよね。小学生の時から、いいえ、きっと生まれた時からかも」

 この日の朝も笹塚友香という看護師に元気をもらった義和だった。学生時代、一度失恋を味わった義和は同じ思いはしたくないと思い、後の妻となってくれた百合子と知り合った時には最初から物凄いアタックを繰り返した。口下手で女性を前にすると思ったことを言えない性格だったが、文才は備わっていたので行動に出るなら手紙しかないと思い手紙を書きまくったのだ。何十通という手紙を百合子に送っているうちに、いつしか二人は文通をする間柄になっていった。今ならライン交換をして二人でメッセージをやりとりするということになるのだろうが、そんなリアルタイムのやりとりではなく、ゆっくりと流れる時間を味方につけて思いを込めた文章を好きな相手に封書にして届けることが当時としては上手な時間の使い方だったのかもしれない。そんな過去の話を義和は看護師の友香にしたことがあった。

 そして義和はベッドの上で回顧録とも言える本の執筆活動に入り、友香も静かに応援する日々が続いていった。だが、次第に指先も動かなくなり起き上がることすらできなくなってしまった。亡き妻に対する思いが綴られた本は、最後の一ページが空白で未完成のまま義和はこの世を去った。子供がいなかった義和に代わり、友香がその本を預かることになり、出版社に持ち込んだ。

 友香は学生時代に失恋した女性の孫娘だった。病院での義和にとって唯一の話し相手でもあり、愛おしい存在でもあったので生前から頼んでいたのだ。

「未完成の亡き妻への手紙」と言うタイトルで本屋の棚に並べられている。

了 (1188文字)


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