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「白」という選択 (#私のテーマカラー)

 小学生になる前、近くに住んでいたお姉さんが、お嫁入りの支度をしていたのを見たことがある。六十年近く前の話だ。縁側のある和室で、真っ白い花嫁衣装を着せられ、椅子に腰掛けていた。その姿がいつものお姉さんと違った人に見えてじっと見てしまった。唇は綺麗な朱で彩られ、衣装の白と対比してとても綺麗だと思った。いわゆる角隠しと呼ばれるものを頭にかぶり、まるでいつものお姉さんとは別の人に見えた。でも僕がいることに気づいてニコッと微笑んだ笑顔はいつものお姉さんみたいでほっとした。この時から、「白」という色は何となく子供心にも、「神聖な色」や「清潔な色」として認識したような気がしている。

 そんな潜在意識をどこかに持ったまま、僕は成長していった。そして、中学生のころは、スケッチブックを片手に時々絵を書いたりイラストを書いたりするようになっていた。その時の基本もやはり白がベースだったように思う。スケッチブックは、当たり前だが書く前は白い。そして、その白を出来るだけ残したイラストを描いていた。多分、作品としては中途半端だったように思う。多感な年頃の時、ふと寂しくなるとスケッチブックを広げて何かを書いていた。僕にとっての気分転換の手段だったと今では思う。そんな時に書いた最後の絵は遠くにある入り口を見つめて立ち尽くす自分と自分の長い影をイラスト化したものだった。使った色は黒のみ。スケッチブックの白を残して黒で塗ったので、その時の気持ちを白と黒のモノトーンで表現したつもりだった。手前から伸びる自分より長い影の先に入り口があるような構図だ。自分自身の形は記号のように丸い頭に四角い体というふうに表現した。父が亡くなった時、自分が進んでいくための入り口は遠くてなかなか辿り着かないかもしれないという思いが頭をよぎった。その入り口は高校という入り口だった。父がいなくなった寂しさや怒りをぶつける場所もなくスケッチブックにイラストを書いたような気がする。そして、その絵を最後に書かなくなった。父の死を受け入れて高校への進学を決意した時だったからかもしれない。その時のスケッチブックも思い出としての記憶の中にしかない。

 その後は時間の経過とともに父がいない生活にも慣れ、ギターに明け暮れ、東京に出ていくまではフォークソングに没頭していたように思う。ストレスが溜まるとバイクで風を切って気晴らしもしていたかな。そして、東京でバイトを始めるようになった。しばらくはコンビニでバイトしていたが、そのうちに炉端焼き屋さんでのバイトに切り替えた。場所は新宿歌舞伎町の入り口。カラフルな服装をした若者が大勢行き交い、銀座とは全く違う顔を見せていたのが新宿だった。田舎者の僕としては、せめて格好だけでも溶け込みたいなと思い、秋が深まる前にコートを買った。カシミヤなどは買えるわけもないので若者向けの服を扱っているDOMONというJUNと姉妹ブランドのショップに入り、ガウンのようなデザインでボタンがない真っ白なコートを選んだ。今思えば、よく買ったなと思うが、当時は、都会の若者に負けたくないという気持ちが強かったんだろう。そのコートを纏って、新宿の街を闊歩して満足していた時代を思い出す。そんな中、バイト先の炉端焼き屋さんでは一騒動が起こり、板前さんたちが一斉に退職するこになるという緊急事態が発生した。紺色のハッピを着てウエイターをしていた僕は、板前衣装の上から下までの真っ白な仕事着に憧れていたので、すぐに板前を志願した。料理はできないが、魚を焼くことは目で見て覚えていた。割と器用なのである。魚に串を刺すのもコツがいるのだが、難なくこなすことができていた。

 翌日から、板前の格好をし見習いとして焼き場に入った。全身がクリーニングされたばっかりの真っ白な仕事着に包まれた瞬間、何となく身が引き締まる思いがした。脳裏のどこかで「白」という色は、心までシャンとさせてくれる効果があるのかもしれないなと感じていた。お客さんから「お兄さん、似合ってるね」と言われるたびに顔が綻びそうになるのをグッと堪えて「ありがとうございます。ご注文は何にしましょう」と返していた。また、夜の休憩時間になると前掛けだけを外して近くの喫茶店までコーヒーを飲みに行っていた。喫茶店に入った瞬間に感じる座っているお客様からの視線が心地よかった。何となく特別感を感じられた。それに、その時の格好を見てお客様は喫茶店のマスターにお店の場所を尋ね、炉端焼きにきてくれるお客様もいたのだから広告塔の役割にもなっていた。

 その後、数年が経って就職したあとは、流石に白のアウターを買ったり着たりすることは少なくなったが、だんだん落ち着いてきて四十歳を超えてきた頃、白いジーンズをはくようになり、その後、真っ白いダウンを購入したりするようになっていった。やはり、無意識に「白」を購入してしまうようだ。まぁ、プライベートなので問題はない。

 「白」に関する一番大きな買い物は、おそらくマンションだろう。転勤で広島に住むようになってしばらくした時、新築マンションの広告が目に留まった。そのキャッチコピーの一角に「白い街並みを作る」みたいなことが書いてあった。面白そうだと思いモデルルームを見学。外観は白、窓のサッシ枠も白、玄関ドアも白、玄関前のエントランスのタイルも白、当然壁紙も白だった。この白ずくめのマンションと同じようなマンションが連続して建設予定だという。白い街づくりである。一目で気に入って金策に走った。何とか頭金を工面して購入し、そのマンションに十三年間住み続けたのだ。そのおかげで、福岡の現在のマンションに買い替えることもできた。残念ながら、現在のマンションは白い外観ではないが、玄関の扉は白、壁紙も白である。白にこだわっていたわけではないが、白には幾度となく惹かれる場面があった。その度に、私としては良かれと思う選択をし、その結果が今につながっているようにも感じる。

 こうして、小さい頃からを振り返ってみると、僕のまわりというか僕自身が白を選択していた場面がかなりあるなと感じている。そして、結果論で言えば、そのことで進み方や決断の方向を正しく判断できていたのだと思う。

 このような投稿では、一つのことを書き綴る方がわかりやすく伝わるので、終始一貫して白だけの話題に徹した方がいいのかもしれないが、実はもう一つ大好きな色がある。最後に、そのことを綴りたいと思う。若い時は好きではなかったが、歳を重ねてきてからだんだん好きになった色。それは「赤」である。今乗っている車の色も赤だし、ちょっと寒い時に着るウインドブレーカーの様なジャケットも赤、そして赤のダウンも持っている。なぜ好きになったのかは自分でもわからない。赤が似合う年になったからなのだろうか。そんなことはどうでもいい。今では、白と赤が好きな色であるし、私の人生のテーマカラーにもなっている。

 そして今、小説を書いている。「赤いワンピースの少女」という短編のシリーズだ。登場する少女は、赤いワンピースに白い靴下、白い靴という格好である。これは意識したわけではなく、書き始める時に浮かんだ映像だった。今思えば、白と赤が好きであるという潜在意識から無意識に発想したのかもしれない。

 そう「白」と「赤」は、日本国旗の色でもある。日本を象徴する色でもあるのだ。その二つの色が好きな僕は紛れもなく日本人である。これからも誇りを持って生きていこうと思う。


(この投稿は、ノンフィクションであり、下記の企画への参加投稿です)


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#私のテーマカラー #エッセイ #記憶 #小説

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松浦 照葉 (てりは)
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