君がそこにいさえすればいい。
温かく優しさに溢れていた歌詞に力強い唄声を響かせていた彼は、令和を迎える前にこの世を去ってしまった。彼が作詞した一節「君がそこにいさえすればいい。」その言葉をそっくりそのまま、彼に届けと願ってやまない。
今日が一周忌。彼のTwitterは2019年4月1日の「令和きれいだー。」から永い眠りについている。いつになったら目覚めるのだろうかと時々Twitterを覗いてみるが、いつ覗いても彼のページは時が止まっている。もう進むことは無いと解りきっているけれど、私が夢をみているんじゃ無いかと、これが夢なら醒めてほしいと、錯覚する時がある。
一年前の、背筋が凍る感覚を未だに覚えている。ソワソワが止まらなくなったことも鮮明に覚えている。初めて味わった感覚だった。あの感覚は"死のお知らせ"のようなものだったんだろうと思っている。嫌な予感を検知する能力は本当に存在した。いっそのこと、事前に検知して、回避する能力があれば良かったのに。
もう会えないことは理解している。
理解しているけど、会いたくなる時がある。
彼の生歌に触れたくなる時がある。
「また絶対、絶対に会いましょう。どうもありがとう。またな、気をつけて帰れよ。」
このフレーズが脳裏に焼き付いて、離れない。
私は、彼が亡くなってから楽曲を聴き漁った。彼と彼らの音楽が好きだ。この事実は変わらない。
愛されているのにいつだって愛を探し続け、満たされたいと望む姿を歌詞に込める彼が愛おしい。誰かのために生み出した楽曲の全てが、彼自身を投影したようにしか聴こえなくて、それらはとても繊細であるからこそ、愛おしくて堪らない。
彼と同じ時代に生きられて、彼の世界観に触れられることが出来て、とても感謝している。彼は向こうの世界でも音楽を続けているような気がするし、wowakaさんが向こうでも幸せであれと常に願っている。
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