【コース紹介コラム⑥】伊勢山公園とその周辺地域 第3回 ONSENガストロノミーウォーキングin藤沢
2023年4月30日 第3回ONSEN・ガストロノミーウォーキング in藤沢〜湘南藤沢の歴史をつむぐ、「藤」の花めぐり〜を神奈川県藤沢市で開催します。ここでは、イベントの会場となるウォーキングポイントをご紹介していきます。
⚫︎若松屋行在所(藤沢市藤沢4-5-2若松ビル)
引地橋から藤沢に向かい20分ほど歩いたところに「台町郵便局」が入る「若松ビル」があります。
明治14年4月28日、相州愛甲郡で行われた近衛師団演習を統監された明治天皇は、その帰途の4月30日、この近くの白幡横町入口角にあった旅館「若松」に宿泊されました。旅館「若松」は、初代三橋善太郎氏が明治初期に藤沢宿台町坂下に建てた高級旅館でした。善太郎氏は藤沢宿をはじめ相模一帯の代官だった江川太郎左衛門英龍に取り立てられ、南相模一帯の十手じって捕縄とりなわを持っていた岡っ引きの大親分で「鬼の権次」の異称で罪人に恐れられていた人物です。三橋家では大庭に所有していた広大な土地を売った代金を元手に高級旅館若松を建てました。最近まで藤沢駅前にあった「角若松」は、旅館若松の支配人だった増田弥吉氏が若松旅館を譲り受け、明治20年藤沢停車場開業と共に駅前に移転、角若松と改名しました。
初代善太郎氏は、藤沢停車場開業を待たず明治16年、68歳で亡くなりました。
現在、台町郵便局がある「若松ビル」中央階段の途中に、明治天皇が宿泊された時掲げられていた「行在所」の看板の写真が残されています。
⚫︎京方見附跡(藤沢市藤沢4-1-3)
さらに藤沢方面に向かうと見附跡があります。
見附とは本来城郭の城門を指した言葉ですが、江戸時代に宿場の出入口に城門を真似て石垣を積み、見附と称していました。一種の見張所で通行人を監視し、有事には関所としても機能しました。遊行寺坂の途中にあった江戸方見附との間が藤沢宿でその距離は12町17間(1340m)でした。
⚫︎伊勢山公園(藤沢市藤沢4-3-1)
小田急線の手前左、藤沢652号線(藤沢石川線)に入ると、左側の山の上に公園があります。
伊勢山公園は、昭和26年5月20日開園、藤沢市第一号公園(0.87ha)となりました。藤沢市を一望する高台にある公園です。伊勢参りが出来ない一般庶民のために西方遙か遠く伊勢の方向を拝められるこの山の上に、坂戸町の伊勢社を祀ったので伊勢山の名がつきました。
この山の東側に、藤沢の家々の壁土をとった壁土山(かべつちやま)がありましたが小田急江ノ島線の藤沢本町駅開設のために削られました。山頂は昭和2年に、当時の藤沢在郷軍人会長であった白旗横丁の米穀肥料商主人の山本悦三氏が音頭を取り、関東大震災で倒壊のまま散在していた近隣の戦没者慰霊碑4基を大正14年(1925)に移設し、昭和2年、記念に桜500本を植樹したため、現在では桜の名所になっています。
四脚の展望台は鐘楼の跡で、昭和18年戦時鉄鋼回収で供出されるまで、「時の鐘」が置かれ、日に3回(6・11・17時)時刻を告げていました。元は藤沢高校(平成22年4月大清水高校に合併、現藤沢清流高校)のあった山王神社で時の鐘を打っていました。大正14年藤沢実科高等女学校(藤沢高校の前身)建設時、神社は白旗神社に合祀され、鐘は伊勢山に移されたもので古くは白旗神社別当寺の荘厳寺の鐘であったとのことです。昭和5年、藤沢地区の新名所10選に「伊勢山の晩鐘」として入っていました。
この山は見晴らしが良いので、展望台からは江の島を見ることができます。また太平洋戦争の時には海軍の見晴所(みはらししょ)がありました。
庚申塔など(緑地右奥、緑地正面右)
①「庚申供養塔」
承応2年(1653)建立、全国的にも古く、藤沢最古の庚申塔で、市指定重要有形民俗文化財。アーンク胎蔵界大日如来種子と光明真言を記し、猿(中央雄、両側雌)が彫られています。
②「庚申供養塔」
嘉永6年(1853)建立、文字塔「庚申塔」です。
③「庚申供養塔」
元禄10年(1697)建立。バク釈迦如来種子と二童子を配した青面金剛立像、三猿、脇侍、雌雄鶏など
それとなく目にする街の中にも、様々な歴史が眠っていますね。さあ、次はいよいよガストロノミーポイントです!
【次回】は、第3回 ONSENガストロノミ―ウォーキングin藤沢 コース紹介コラム⑦ 白旗神社・御殿辺公園 に続きます♪