マミーを観て

本日、和歌山カレー事件を題材にしたこの映画を見てきました。

まず被害に遭われた方々や命を落とされた方々にお悔やみを申し上げると共に、祈りを捧げます。
関係者でもないのに白々しいと思われるかもしれませんがブログを書く上で最低限の敬意だと思っています。

先日、とあるイベントとその後の打ち上げで林家のご長男と少しお話する機会があり
もしこの映画を東京で観られる機会があればちゃんと観たい、知りたい。と思い
今回下高井戸シネマに足を運びました。

映画の内容に対して感じたこと、というより
観たあとに監督に質問できる機会があったので
主にそのやり取りを忘れてしまわないように
ブログを書こうと思いました。

監督が身を削るような取材をされていて、その熱意を感じたからこそ少し突っ込んだ質問をさせていただきたいのですが
憤り、怒りのようなものを感じるとしたらそれは、司法に対してなのか、メディアなのか、それとも世間なのか、もしくはその他ですか。

と、要約するとそのような質問をしたところ

全てですが、と答えた上で
最も憤りを感じるとすればそれは
「司法」であるという旨のお返事をいただきました。
当事者でも無ければ関係者でもない、一人の客でしかない私の不躾な質問にとても丁寧にお答えいただいた印象です。

ここからは私の体験になります。
すでに終えた裁判となりますが
以前私の家族がとある事件に巻き込まれました。
家族は被害者の立場であり、加害者とされる方にもそれぞれ弁護士がついていました。
しかしその裁判中に、加害者とされる方の弁護士が、その裁判の内容とかなり類似した内容で逮捕されました。

空いた口が塞がらないというか、こんな事があるのかと私も家族も非常に驚きました。
不注意だとか不意のものではなく、完全に故意的なものでした。

それまで私にとって「司法」とはどこか機械的なものでしたが
この日をきっかけにとても人間的なもののように感じ始めました。

司法があるから成り立っている。
助けられたこともある。
かといって関わる人達が全て善とも限らない。
職業や家族構成、年齢、人の何を見て信頼すればいいのか。
誰になら善悪の判断を共有していいのか。

そんなことを考えたある日のことを思い出しながら
下高井戸シネマをあとにしました。

当時画期的だとされた科学的検証への反証結果、新たに出てくる事実、この事件をとりまく人々の動き。

終わっていない出来事として、上記に関することを目にする際は、これからも心の目を向けていきたいと考えています。


最後に脱線しちゃうけど
ご長男が歌う「今宵の月のように」はかなり良い歌でした。また聴きたい。

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