お師匠様達について
最近私のことを知ってくれた方々に向けて書いてみよう、と思ったのがキッカケのnoteです✒️
その前に唐突ですが、私の考えとしては亡くなられた方々が芸能に携わる方である場合、その方の存在をなるべく永く話し続けていくことが大切な事だと思っていますし、遺族の方や最期まで身の回りのお世話をされて傍にいた方であるほど似たような考えでいらっしゃることを直接お話して確信を持つことができたので
そのようにしていこうと思っています。
あと長いので、休み休み読んでいただくことをおすすめします。
1人目
故・亀渕友香
没年月日2017年10月22日
Wikipedia↓↓↓
日本にゴスペルを広めた第一人者と言われています。
友香さんが作ったプロゴスペルグループのオーディションを受け、生前、最後の弟子達の世代として2016年11月〜2020年3月まで入団し、様々な修行をさせていただきました。
「日本中に、祈りたい人達は沢山いる。だからクリスチャンでも、ノンクリスチャンでも、ゴスペルを歌っても良いんだ」ということ。そして「伝える」ということにおいて、エンタメ性を重視されていたこととそれを実行される絶対的なセンス、そこに「日本語の歌詞」の重要な役割。そんな友香さんの活動に救われた沢山の人達。
他にもたくさんありますが特にこの部分は今後ゴスペルというものをルーツの1つに携えていくにあたり大切にしていきたいと考えています。
50名以上、多くて80名を超える弟子達に日々レッスンをされていた友香さん。
「昔は怖かったけど、最近は優しい方だよ」と先輩に言われていたので油断していたある日のこと。私のソロパートで、中々の声量を出している(つもり)にも関わらず
「もっとやりなさい」
「こうですか?(歌う)」
「もっと」
「(えっ?まだですか?!)」
「もっと!」
顔の筋肉と声帯がどっか行ってしまいそうと思っていたら
「それだけ歌えればいいわよ」と突然やり取りが終わりました。あとで仲間達に聞くと友香さんに言われる前後で大分変わったよとのことでした。
大人数の前でこれだけ言われることと、歌うことができたので、その日からすごく自信がつきました。「油断してたらダメなんだ、見えない努力をし続けよう」と気が引き締まった時でした。
残念ながら「コーラス」という世界と「個人活動」という世界の違いをはっきり理解したのは、友香さんが亡くなられた後でしたが
なぜ亡くなった後に気が付いたのか
最近少しずつ理解してきました。
「変化を恐れるな」
短い言葉ですがこの言葉を発せられた時の状況は、普通の人なら言葉数が多くなったり何も言えなかったりする場面でした。
だからビッグママと呼ばれるんだ、と心が震えたことを覚えています。
もっと叱られたかったなぁ。
2人目
故・池田定幸
没年月日2020年12月21日
プロフィール↓↓↓
1人目のお師匠である友香さんが作ったゴスペルグループで、様々な一流アーティストのバックコーラスや東京文化会館などの大ステージで修行中の私に、これまでのグループの活動歴史上では異例の「ソロ活動」の声掛けをスタッフさんからいただきました。
しかしそうして立ったステージはボロボロで「基礎はできていても、その先の表現力が無いから面白くない」という評価をもらい迷子になっていたところで出会った先生です。
誰かの紹介ではなく、自分で探して行き着きました。
2018年10月〜2020年7月までお世話になりました。
レッスンは主に朗読をテーマに、表現力のコーチングをしてくださいました。
本格的すぎて、とにかく恐くて色んな生徒さんが目の前で泣いて辞めていきました(苦笑)
先生は生徒それぞれにピッタリの作品、例えば初心者だと芥川龍之介の蜘蛛の糸、少しレベルアップしたら雪女、など一通り読ませたあと、イマイチな表現をした部分の文章をまずはその生徒がどう捉えているのかを確認し、
ズレている場合になぜそもそもズレるのか、正解は何なのかを一切妥協せず逃がさず
向き合ってくれる方でした。
初めの頃の私は何度言っても叱っても己のやり方で読むので、
「俺は何歳の人間にこんなことを言ってるんだ」とか「右脳で考えろ!」と怒鳴られたことがありました。
特に「お前は俺の話なんか聴いていないし、尊敬なんかしていない」と言われた時、「そんなわけがない!」と泣きながら帰ったことがあります。
なぜ先生がそんな風に言ったのか。あまりにも改善しない私に原因があることに気がつき、次のレッスン前に謝りました。
すると「は〜い」と笑って対応をしてくださって
思わず拍子抜けしてしまったのですがもう少し自分と向き合って頑張ろうと思えたことを覚えています。
生徒同士の評価し合う場面では
「ある程度仲間に厳しく言わないと自分もそういう芸風になる」と話す一方、
「人に辛辣な意見を言いすぎると、自分のことも考えすぎてしまう」など
場面に応じてその人に必要なことを話してくれました。
水商売(キャバクラ)で生計を立てながら通っている生徒さんには「仕事にのまれるなよ。水っぽい仕事にのまれると、表現に媚びが出る」
と話したり
「今日すっぴんで来ちゃいました!」という生徒さんには「いいんだよ。すっぴんでレッスン受けるとイキイキしなくちゃいけなくなるから」と仰っていました。
私の手帳には、こういった何気ない先生の一言が沢山書いてあります。今でも宝物です。
少しでもレッスンとレッスンの間の時間を空けていくと、すぐに力が落ちるので、未だに天国の先生が私の歌を見ていたら
どう思われるだろうかと考えています。
先生が実は末期ガンだったこと、全く気が付きませんでした。
先生、宇宙一かっこよかったです。
3人目
アンジー・水戸華之介
こちらの方は今も精力的に活動されています。
Wikipedia↓↓↓
「天井裏から愛をこめて」をご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
水戸さんのバックコーラスとして、何度も御一緒させていただきました。
そのうち「カラオケ会をやろう」とお声がけいただき、パーティ的なものかと思っていたら
中身はなんと歌を聴いてアドバイスをしてくださる会だったので、ありがたく何度か見ていただきました。
言葉は柔らかく、本質は鋭く。
例えばこんな曲がヨネミツに合うと思う、これはどうだろう、と毎回水戸さんに提示していただく曲が楽しみで、カラオケ会といいながら
かなり真摯に勉強させていただきました。
カラオケ会第一回目から「ヨネミツの高音に幼さは要らない」と言われた時
これまで心に覆っていた霧のひとつが晴れていきました。
こんな風に言っていただける機会があるなんて凄いよ!!!!やばいよ!!!
と大興奮したのを覚えています。
あまりにも鋭く、具体的に教えてくださるので
「歌を始めたばかりの自分に、こんな機会があったなら」とつい妄想してしまうほどです。
グループの1人として面倒を見ていただいていたので、卒業する際に情けないながらも泣きながらLINEを送りました。
いつもの柔らかく、本質をついたお返事の最後に「誰よりも自分のファンであるように。」
と書いてありました。
卒業してせめて1年たったら、誠に僭越ながら水戸さんの歌を歌ってみたいなと想います。
﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏
今、やっぱりたまにしんどくなる時があります。
生きていれば誰だってそうですよね。
師匠達の教えや存在、応援してくれる数少ないファンの方の支えってデカいなと思わずにいられない、なんてことを
こんなに本気で思って、書く日が来ると思わなかったです。
結構重ための相談DMが来ることもあります。
師匠達の言葉を借りることもあります。
できることをできる中で、で恐縮なんですが
こうやって育てていただいた背景の中から
迷いながらも前向いて生きていけるように
時に自分に向けて言うつもりでお返事させていただいたりもしています。
お師匠さま方、本当にありがとうございます。
本当、自分で自分をシバキ倒したいくらいの
出来損ないの奴ですが、あなた方のことを
一生しつこいくらい話し続けていける自信だけはあります。できれば自分だけじゃなく誰かのために活かしていきたい、そんな風に思っています。今回も失敗しちゃったけど、私はまだ諦めたくありません。
なんか、生きられちゃってる間は。
どうか見守っていただけると幸いです。
読んでくださりありがとうございました。