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《特集》カール・ホグセット氏を偲んで(2)カールとの思い出(荻原美城)                                        

Tokyo Cantatの招聘講師として1997年から2016年まで13回の登場を数え、私たちに本当に多くの大切なことを教えてくださったノルウェーの合唱指揮者・声楽家であるカール・ホグセット氏が、2021年6月2日、79歳で旅立たれました。
1997年カンタートから親交のあった、教え子でもある荻原美城さんが思いをつづります。

Carl Høgset との思い出

2021年6月3日、山梨から帰る電車の中で私はCarl が亡くなった事を知りました、それはノルウェー語で書かれているEx-GrexsereのグループFacebookからのお知らせでした。「きっと私は何か読み違えているに違いない」と動揺しながら、一生懸命にそう思おうとしていました。すぐにGrexの友人に連絡を入れました。私の心臓はどきどきしていました。すぐに返事があり、それは急な事だったようでした。涙が止まらなくなりました。

彼のセミナー「アンサンブルのための発声法」を初めて1997年のTokyo Cantatで受講した時はたくさんの驚きがありました。自然な身体のフォーム、倍音を聴くような開かれた聴覚、彼とそこで歌う人達の間に生まれる柔らかい振動、共鳴・・・。彼の著書 “シンギングテクニック” は、音楽を愛し、コーラスを愛し、人を愛したカールだからこそ生まれた本当の意味での“アンサンブルのためのシンギングテクニック”なのだと、今改めて感じます。

いろいろなチャンスが重なって、私は1998年から約1年間、彼の率いるGrex Vocalisのメンバーとして活動することになりました。

もう24年も前のことですから、記憶はだいぶ曖昧になっていますが、彼を思う時、ふとその頃のいろいろな場面が思い浮かびます。

ある雪の日、私はGrex Vocalisが練習をする教会に着いたのですが、まだメンバーは誰も来ていません。教会の外で待っていると最初に現れたのはCarlでした。彼が扉の鍵を開け、それから二人でピアノを動かしたり、大きなテーブルをよせたり、椅子を並べたり・・・そろそろ準備が出来たという頃にメンバーたちは徐々に集まってきました。(私がいなかったら、彼は一人でこれらをしたのかしら・・・・。)

冬のオスロにて

練習は夜10時を過ぎることもありました。彼の練習では、pで歌い出すソプラノのハイトーンを何度も繰り返し練習させることが良くありました。みんなはうんざりした顏で「もう無理、声が出ない」と訴えますが、にやりと笑ってひたすら気に入る音が出るまで繰り返すのでした。

彼とGrex Vocalisの活動の柱になっていたのは海外演奏旅行とレコーディング。Uranienborg 教会でのレコーディングの時には、彼はしきりにエンジニアの方と言葉を交わしながら、マイクや合唱団の立ち位置にこだわっていました。後日、彼は私を編集スタジオに連れて行ってくれました。何度もいろんなテイクを聴きながら「君ならどちらを選ぶ?」などと私に尋ねたりもしました。そんな時、Carlはいつも真剣で、とても楽しそうに目を輝かせていました。

Grex Vocalisのメンバーを家に招いて夏はバーベキュー、冬は深夜まで飲んで歌って踊ってのパーティー。チャーミングな奥様Kariとのダンス姿はお二人とも愛くるしかった。Grex Voalisは彼の大切な家族でした。

バーベキュー

2019年9月22日のオスロはこの時期にしては珍しく澄み渡るような青空で、上着を着なくても良いくらい暖かく穏やかなお天気でした。この日は、彼の人生の48年間をともに歩んだGrex Vocalis 最後のコンサートでした。

私はオスロの空気を深く吸ってからリハーサルを聴きに行ったのですが、リハーサルに現れた彼は少し硬い表情のように思われました。挨拶をすると「よく来たね」と軽くハグをしましたが、その時笑顔はありませんでした。しかしリハーサルが始まると、彼はいつもの表情でした。時折パンパンパンと手をたたいては練習を止めてやり直す、繰り返し、何度も・・・。

そして、いよいよGREX VOCALIS FINALE 満席のHobedscenen i Operaen(オスロ歌劇場)。曲の間にピアニストSalaさんがいろいろなエピソードを語り、演奏会は明るい雰囲気で進められ、会場は暖かい空気に包まれていました。いよいよ最後のアンコール、私も含め観客の多くの人たちが涙を流しました。Grex Vocalisの終わりを惜しむかのように割れんばかりの拍手喝采が続きました。

2019年、ホグセット氏指揮のラストコンサートのプログラム

ロビーで最後のレセプション。たくさんの人からのメッセージとGrex Vocalisのレパートリーの数々をみんなで歌いました。その時、静かに椅子に座っていた彼のなんとも言えない表情が私の脳裏に焼き付いています。

その夜の打ち上げには、いつも必ず居たCarlの姿はありませんでした。
「疲れたので今夜はKari(奥様)とゆっくり過ごす」と言っていたそうです。

2021年ゴールデンウイーク、コロナ禍のTokyo Cantat への来日は叶わず、しかし「若い指揮者のための合唱指揮コンクール」のオンライン審査で、画面から元気なお姿を見せてくださいました。秋にはたくさんのex-Grexere が集まっての大きな記念コンサートを企画しておられ、それをとても楽しみにしていたそうです。

お別れは本当に淋しいです。
でも
Carl Høgsetはいつも
彼を愛する世界中の人たちの心の中にいると思います。
Carl、合唱を愛する私達にたくさんの愛をありがとう。

荻原美城(合唱人集団「音楽樹」幹事)
山梨大学教育学部音楽科卒業。二期会オペラスタジオ36期修了。ノルウェー王立音楽院のゲストスチューデントとして一年間留学。声楽を下野昇、近藤礼子、藤井宏樹、シーリ・トリェセン各氏に師事。アンサンブルのための発声法をカール・ホグセット氏に師事。ホグセット氏率いる合唱団「Grex Vocalis」のソプラノメンバーとして1998~1999年所属。


Carl HØGSET カール・ホグセット
合唱指揮者、カウンター・テナー、バリトン歌手。
オスロ大学にて音楽学及び語学の学位を、ノルウェー国立音楽院にて声楽・合唱指揮の学位を取得。1971年にGrex Vocalisを創設。アレッツォ、ゴリツィア、トロサ、マークトーバードルフなど国内外のコンクールにて1位を受賞。1999年アレッツォ国際合唱コンクール・グランプリ受賞。
ノルウェー・ユース・クワイアの指揮者としてもアレッツォ、スピッタル、カントニグリスのコンクールにおいて1位を受賞。2002年アレッツォ国際合唱コンクール・グランプリ受賞。
1977年オスロにてカウンター・テナー歌手としてデビュー・パーセル、ヘンデル、グリーグ、ノールハイムの作品を集めたソロCDを1995年にリリース。ノルウェー国内外で合唱指揮・発声法を指導しており、ノルウェー国内はもとより、各国の国際合唱コンクールの審査員としてもたびたび招聘されている。その国内外の合唱界における業績に対して、ノルウェー国王より2007年『聖オラフ勲章』を授与された。
著書の「Singing Technique」は10か国語に翻訳されている。2016年、NHK「奇跡のレッスン」合唱編の《コーチ》として出演し好評を博した。
Tokyo Cantat への招聘は14回をかぞえる。('97、'98、'01、'04、'05、'06、'07、'08、'10、'12、'14、'15、'16、'21(オンライン審査))




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