おじぎそう
ベランダに植えたおじぎそうが、今朝見たらジャングルのように成長していた。
昨日まででもまあまあ生えていたし、大きさも充分だったし、ま、こんなものかねぇと思ってた。
だから私はびっくりした。
急に隙間なく生えてるし、よく見たら赤ちゃんの葉っぱも次々生まれている。
か、かわいすぎる…!
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ベランダにおじぎそうを植えたのは今年の5月。
去年1年間は、仕事でとにかく疲れていて、ベランダに花を植えようなんて余裕はなかった。
が、いつまでも乾いた土を入れっぱなしのプランターを放置しておくのもなんか嫌…。
というか、私は見て見ぬふりをしていたのだが、ついに夫に突っ込まれたのだ。
「ねぇ知ってる?
ベランダにプランター放置してたら運気が下がるらしいよ」と。
うまい。
ツッコミの仕方がうまい。
私が運気とか、そういう言葉に弱いのを知ってか知らのか…人を動かす力がある。
それでようやく重い腰を上げて土を蘇らせ、種をまいたのだった。
あれ、今日はおじぎそうが好きな理由をnoteに書こうと思って書き始めたのに。
話がそれてきた。まぁいっか。
それでは本題へ。
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私がおじぎそうに出会ったのは小学生の頃。
何年生だったかまで覚えていないが、自然探検とかで山を歩いた時だったから3・4年生かな?
植物博士の先生がおじぎそうをツンっとつついて、
「ほーら、まるで人がおじぎをするような仕草をするでしょう?
だからおじぎそうって言うんだよ。」
と教えてくれた。
この先生から教わった植物のエピソードは他にもあって、私の心に深く刻まれているものが多い。
それもまたいつかどこかで話したい。
話を戻そう。
おじぎそうが、葉っぱを静かに閉じて、腰を曲げるようにおじぎをする仕草に、当時の私は目も心も奪われた。
な…なんてかわいいんだろう。
植物なのに、人みたいに触れられて反応するなんてすごい!なんで??
興奮した。
が、なぜ?に関してはあまり追求しないタイプの子どもだったので(よく言えばすごく素直でしょ。なんでも「そういうものか」と受け入れるタイプだったの)、理由はどうでもいいやと、ただただその仕草が見たくておじぎそうの葉っぱに次々と触れた。
それからは、道端でおじぎそうに出会う度に、おじぎそうみんなにタッチして回った。
まるでおじぎそうハンターだな。
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子どもの頃は楽しかったから触れていたのだろうか。
ただ、もしかすると理由はそれだけじゃないかもしれない。
自分のアクションに対して、返事(反応)をくれたのが嬉しかったのかも。
そこに何かしらの交流とか、心のつながりを感じられるのがたまらなく心地よかったのかなあ…。
そんなわけで今朝も「おはよう♩」ってつついておじぎそうと遊んだ。
朝日を浴びたいおじぎそうは、いつもよりちょっぴりめんどくさそうに葉っぱを閉じて、おじぎをした。