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僕とMOTHER2 その10 MFC編

前回、MOTHER2とは離れた話になっていたが、実は今回の布石のようなものだった。
タイトルのMFCとは、自分のホームページで作ったコンテンツ、
MOTHER FAN CLUB」の略称である。

ホームページのコンテンツと言えば色々あるが、ゲームを主体としているならば普通は「攻略」や「データ」や「所感」などを扱うところでないかと思う。
だけど僕は交流する場所をコンテンツにしようと思い、MOTHER FAN CLUBを作って公開していた。
この頃、同好の士を集め、自身の主張を画像で行うことがあった。
なんとかの会とか、なんとかの輪とか。
名前とメールアドレスを掲載した会員リストを用意して、入会申請がきたらそこに載せたり、会員証の画像を送って、加工してもらったらそれを掲載したりと、または自身のホームページに掲載して、管理人はこういうのに入ってますよーって、それぞれの界隈でわいわいするのである。
どこか、他のゲームやバンドのファンサイトでこういった活動を目にして、自分でもやってみようと思ったのだ。

コンテンツはMOTHER寄りにして、真っ黒で白文字のデザインで作った。
頑張ってCGIを設置し、掲示板を開設した。
数値を変えたり、構成を少しいじるだけなのだが、四苦八苦したのを覚えている。
一行目の#!/usr/local/bin/perlが違ったり、動かない原因を考えたり、数日かった記憶がある。
夏前ごろには、サンタクロース駅の掲示板なるBBS(Bulletin Board System)が稼働し、晴れてMFCが世界に公開されたのである。

前回チャットの話を記事にしたが、この頃は掲示板も活発だった。接続できる時間が限られている人は、掲示板を読み込んだらネットを一時切断し、内容を書き込んだたら再接続してネット上にデータを流す。こういった使い方をしている人も少なくなかった。
雑談を始め、意見を述べたり、小説を書いたり色々あった。内容を不特定多数で進めるリレー小説とかもあった。交換日記みたいなことをネットの世界でやっていたのである。

公開されたばかりのMOTHER FAN CLUB、当然人なんてこない。ではどうするのかというと、人の居る掲示板などで宣伝して回るのだ。そのほかにも、相互リンクを申し込んだりする。するとそのホームページの管理者が入会してくれて、会員証の画像を載せてくれたりする。
こうやってだんだんと輪が広がっていくのである。
いまでは鬱陶しがられるこれらの行為も、当時は普通だった(と思っている)のだ。

なんだかんだして、夏ごろにはリストに10数人の名前が掲載された。

今は過去ログ、さらにその前はインターネットの闇に消えた。

時は進み、冬。

掲示板は大盛況とはいかないものの、そこそこの書き込みがあった。
常連と呼べるような人もでき、テレホタイム前は書き込みが無いかと楽しみだった。

夕食を食べてからテレホタイムになるまで、ホームページを作ったり、受信しておいたメールの返事を下書きしたり、ゲームをしたりしていた。
テレホのなると、まずメールを送信し、掲示板をチェックしながらチャットをしていた。寝る前にまたメールを受信し、掲示板をチェックしていた。
いまでこそスクリーンショットをして、書き込みを画像データにすることができるが、当時は気軽にできるものでもなく、覚えておく必要があった。
でも不思議と次の日まで覚えていた。

ある日、とあるメールを受信した。
京都の常連さんからで、冬に東京に行くので短いけどオフ会しませんか?と。
たぶんそんな内容だったと思う。

実は、この常連さんに限らず、何人かのネッ友とはリアルの連絡先を交換して、やりとりをしていた。
メールとか掲示板とか、データでやりとりができるのに郵便を送ったりしていたのだ。
時代に逆行しているが、逆に新鮮だった。
年賀状とかの習慣もなかったが、ネットを始めたら年賀状を書くようになったのだ。

京都の常連さんもそんな中の一人だった。

折角なので、近場の人に声を掛けていいですかと聞いてみたところ、快諾してくれたので、お互いが知る人の幾人かに声をかけた。

冬の東京駅で会うことになった。
これが、ネット友人との長い付き合いの始まりとなることは、まだ知る由もなかった。

オフ会の当日。

東京駅の銀の鈴で待ち合わせをすることになっていた。
携帯なんてないし、夏同様、服装を伝える&目立つ格好をしていった。
叔父からもらったスタジャンを着て行ったと思う。背中にジャガーが刺繍されたスタジャンを。

急でかつ師走だったこともあり、集まるメンツは多くなく、4人であった。京都の常連さん、そうだな、以後は姉さん①と呼称する。ほかには男性の方と、CROSがメンツだった。
突然CROSというNHが出てきたが、彼は同学年ということもあり、今も付き合いがある一人で、今後何度も話にでてくることだろう。
男性の方は遅れてくるとのことだったので、東京駅銀の鈴では3人での邂逅となった。

銀の鈴に着くと声を掛けられた。赤いコートを着ていたのがCROSだった。
赤いコートが気になり、聞いてみるとMOTHERの集まりだからさ、と答えた。
二人で話をしていると、また声を掛けられた。
姉さん①である。
本名からして女性ということは分かっていたが、背が高いのが印象的だった。

行事の途中で抜けてきたとのことで、20分ほどベンチでおしゃべりをして、別れることとなった。
別れ際に京都のお土産をいただいた。
僕は物を用意するなんて頭になかったので、次は何かを用意しようと思った。

姉さん①と別れたあと、CROSと秋葉原に向かった。もう一人の男性との合流が秋葉原だったのだ。
なぜ秋葉原なのか、それは自分は行ってみたかったというだけである。加えてPSコントローラーをPCにつなぐ商品を買いたいと思っていた。
秋葉原に着くと、彼は改札にいた。
挨拶を済ませ、希望の商品を伝えると店を案内してくれた。
群馬ではほぼ買うことができないものだったので、とても助かった。
ちなみに今でもまだ持っている。

この後は山手線沿線でゲームセンターに行ったりなんだりして3人で過ごした。
冬至を過ぎたとはいえ、日が落ちるのは早い。夕方ごろには二人に別れを告げて帰路についた。

これが、自分のホームページから発生した初めてのオフ会だった。
学校の友人とは毎日のように遊んでいた。それは楽しいものであったが、顔ぶれは変わらず、やることもほぼ一緒だった。
今後、ネットの友人と会うオフ会に、知らず知らずにのめり込んでいく。
今回のすぐ後も、スマブラ部のオフ会に参加した。ただこちらに関しては割愛する。

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