令和哲学的観点から観る『ピアフ』
※追記あり
地球を舞台に人類80億総ミュージカル制作。レ・ミゼラブルを超えるJapan Mission Musicalプロデューサーおりょうです
令和哲学大好き/心感覚アンバサダー/ジ―ニマミスト
※追記
ピアフを観劇してる方々の中にはご夫婦らしき人がチラホラ。
ラ・マンチャの男も、客層のご夫婦率が高いなぁと思いましたが、
ピアフのご夫婦率も私がこれまで観劇してきた中での主観的比較では、高い率だなぁと感じました。
長年の大竹しのぶファンの方々も多かったのではないかと思います。
しかし、この舞台をご夫婦で観るとは、、、
若い人じゃなくてね、、、それなりのご夫婦ですよ。
キマヅクないのかな?
いや、無意識で、心のうちの孤独に気がついて欲しいという女性側のアピールなのかもしれない、、、
そして、無意識で、女性としてみてほしい想いのアピールなのかもしれない、
そんなことも思いましたが、でも、その水準の人もいるでしょうけど
もっと高い水準
常にエクスタシーを求めたピアフと同じ無意識レベルの方は、このブログの最後に書いた
悟りの水準を
無意識で求めているのかもしれないな、、、そんなことを思いながら過ごすピアフを観た夜なのでした✨
追記終わり
シャンソン歌手ピアフを大竹しのぶが演じる
いや
舞い降りた
ピアフ。
彼女の孤独
貧乏からの大有名人
どこまでいっても
拭えないものが
魂。
ピアフの魂は
表現し続けた
本物の出会いを求め続けた。
出会いたかったんだ
この現実世界で
究極のものと。
それを常に常に
感じ続けたかった。
ピアフ自身も知らなかったであろうけど
彼女が求めていた境地は
悟りの境地でなかろうか。
悟りとは常にエクスタシー状態であるのだから。
戦争中の彼女の功績から観ても
ただならぬ
愛を
脳の世界に立ち向かった強さがあると思った。
21世紀の悟り心感覚とピアフが出会っていたら
幸せに生きれたのかなぁ。
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