令和哲学的観点から観る『ミュージカル フィスト・オブ・ノーススター 北斗の拳』
こんにちは!おりょうです。
ご覧いただきありがとうございます。
コツコツ、コツコツ。
ミュージカル解析を書き溜める。
さて、今回は『北斗の拳』です。
ミュージカル化されると聞いて、驚いた方も多いのではないでしょうか。
え、そんなの無理じゃねぇ?とか、期待できないとか。
元々ファンの方はどんな思いでいたのでしょうか・・・。
私は、有名だということは知っている程度で、漫画もアニメも触れたことはなく、戦う作品だから、男の子が好きなやつでしょ、ってくらいに思っていたのですが
なぜか、「観に行かなきゃいけない!!」という野生のカンが働き、公開二日目に観に行ってしましましたw
結果・・・・・・
大号泣・・・・
本当に何も知らずに行ってすいません!!!と先に謝るくらいなのですが、
北斗の拳って、「愛と宿命の物語」なんですね。
ストーリーが進むほどに、「大和魂の入った」ストーリーそのものだ・・・そのことに感動しまくりでした・・・。
令和哲学者のNohJesuさんは、日本のアニメ・漫画には「大和魂(心)」が入っているという話をされるのですが、まさに・・・北斗の拳にも、ド直球で入っていました。
令和哲学では「心」と言うところを「愛」と言っているのが北斗の拳だなと感じながら没頭していきました。
・・・・・・・
そもそも、設定された時空間が、最終戦争の後の地球。
核が落とされ、ボロボロになった世界。
世界をまとめるリーダーがいない中でユリアはケンシローがリーダーになるべきだと言う。
コロナのパンデミックは、世界第三次戦争だといっても良いほどの世界的死者をだしているため、まるでコロナ後の世界を書いていると言ってもいいストーリー・・・。
そして、ケンシローは、目覚めようとする日本文明だと思ってみるとまさにぴったり。
一人一人の「尊厳」を大事にし、亡くなっていく人たちがケンシローとまさにひとつになる。
強くなるケンシローは、生死を超えた仲間たちと一心同体。
敵もすごい精神性を持っています。
自分が負けだとわかると、自ら自死する敵もいる。
その潔さ、生き様はまさにサムライだと思いました。
さらに、登場するメイン男性陣全員に愛されまくるユリア像は、まさに「真の女性性」
『心感覚』そのものだから、あれほどまでに愛されるのでしょう。
2021年12月12日 令和哲学者 NOH JESUの新刊本が発売になりました。
ユリアはこの『心』そのものを表すキャラクターだと思います。
ケンシローは一人の体人間の女性を愛しているのではなく、すべての人間を愛するモチーフとしてユリアを愛しているのだと私の目には観えました。
令和哲学的観点から映画やミュージカルを観ることで、
一番深いところから、解析ができるようになるので、
充実度が全く違います。
北斗の拳には、第二次世界大戦後の日本の涙も入っているし、明治以前の侍魂も感じられるし、未来に対する警鐘を鳴らしているのも感じられます。
明治の侍たちの意志が、現代には通らなくなってしまったが、その意志をアニメなどの作品にぶつけて、エネルギーは残している日本。
ダイレクトに表現ができない代わりに、言葉ではなくアートで表現する『心』
コロナのパンデミックがまだまだ続く中で、今こそ急がばまわれ、で現代人に必要な力、まさに心感覚だと思います。
アートでは、感覚を明確にコピーすることは、できないため
77億に広げることはできませんでした。
しかし、令和哲学という完全学問を道具にすれば、だれもが『心感覚』を身に着けられ、
深く広く感動できる心を持った、柔らかい人間になり、
結果、人間力・人間関係力がついていく。
どんなに大変な時代がやってきたとしても、チームプレーで乗り越えられる。
苦難をあえて楽しめる。
何があっても強くたくましく優しく生きられる力。
ケンシローはアニメの中だけじゃない。
77億がケンシローのようなリーダーになっていく。
リーダーとフォローが固定しない時代
心を開けば可能になる。
誰もが心で生きよう。
心の翼広げよう
https://youtu.be/4RN34GE9u8Y
心で生きることをドラマチックにみせてくれるミュージカルでした。
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