暗闇に掘る …私は書くべきか
文章を書くとき、絵を描くとき、曲を創るとき
それら創作物が世の中にもたされるとき
作り手はそれらをどのように生み出しているのだろう。
「女のいない男たち」という短編小説集の前書きで
著者の村上春樹さんは次のように書かれています。
シュルレアリスム画家のエトガー・エンデさんが創作にあたってイメージを捉えるときのことを彼の息子で童話作家のミヒャエル・エンデさんが「暗闇の考古学」という本の中で次のように話しています。
その様子は本のタイトルにもなったように
「埋もれてしまった遺跡を掘り起こす考古学者のよう」
であったと。
絵画と小説、という異なる分野でのことですがイメージを形にするという、共通した作業の本質が
それぞれの作家で言葉は違うけれどどちらも自身の内面に光をあて、掘り起こすことで得られるのだということを示唆していて面白いなと思いました。
いま、僕はあらためて文章を書く、ということに向き合ってみようと思ってここへ来ました。
ものを書くということについてはオーストリアの詩人、ライナー・マリア・リルケの次の言葉が刺さります。
さて
己の内なる暗闇に光を当て鉱脈が見えるのか
そして掘り起こしてみて何かが出てくるのか
答えは続けてみないと見えてこないのでしょうね。
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