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江戸時代の街並みをたどってみよう!

社会の学習では、歴史を学びます。歴史を学ぶことは、ただ、何年に何があったか?を覚えるだけでは、全然楽しくありません。

当時の人はどんな暮らしをしていたのか?

どうしてそういった事が起こったのか?

その背景は?

それからどうなっていったのか?

などを深堀してみていくと、色々なことがわかり、現在の生活や人生をより良くしていくヒントが隠されていたりします。

 今回は、250年も平和な時代が続いた「江戸時代」の中で、当時からすごく活気があった江戸の街についてみていきます。

江戸時代の街並みをたどってみよう!

江戸時代は、250年以上も続いた、日本の歴史の中でも特に長い安定した時代であり、その文化や生活様式は今でも私たちに影響を与えています。今回は、江戸時代の都市計画や建物、商人たちの暮らしについて探ってみました。

江戸の街づくりには風水が一部取り入れられており、都市設計や建物の配置に影響を与えたと言われています。

江戸の街並みの特徴

江戸時代の街並みは、計画的に作られたもので、商人、武士、町人といった身分制度に応じてエリアが分かれていました。特に江戸(現在の東京)は、将軍家の城下町として急速に発展し、人口は100万人を超える大都市となりました。江戸の街を象徴する要素はいくつかあります。

1.江戸城の立地

江戸城の位置は、理想的な都市や建物の配置として、風水で重視される「四神相応(しじんそうおう)」という概念に基づいています。

・東の青龍(川や水の流れ):江戸城の東には隅田川があり、これが「青龍」にあたります。

・西の白虎(広大な道や平地):西側は甲州街道や広い平野が広がっています。

・南の朱雀(湖や開けた土地):南側には広い東京湾があり、「朱雀」を象徴します。

・北の玄武(山や丘):北側には武蔵野の台地が広がり、これが「玄武」に対応します。

また、鬼門と裏鬼門の配慮されており、江戸城の北東には鬼門封じとして上野寛永寺が、南西には裏鬼門封じとして増上寺が配置されました。これによって、江戸城が悪い影響を受けないように守られたとされています。

2. 町割りと区画整理

江戸の町は、今と違って木造で造られた家屋が多かったため、度々火災や洪水といった災害が多かったそうです。そのため、防災対策が施されていました。町は碁盤の目のように区画整理され、通りごとに商人が店を構えていました。この通り沿いに、屋台や露店も並び、にぎわいがあふれていました。

3. 商人の家と店の構造

江戸時代の商人の家は、商売のために工夫された作りが特徴です。家の前に店舗部分があり、奥に家族が暮らす居住スペースが配置されていました。特に、「うなぎの寝床」と呼ばれる、間口は狭く奥行きが長い作りが多く見られました。この構造は、税金の計算が家の正面の幅で決まっていたため、間口を狭くすることで節税対策になったのです。「うなぎの寝床」は、現在では、京都の町屋で見ることができます。

4. 江戸の風景を彩る「長屋」

庶民が暮らす長屋は、江戸時代の街並みを象徴する建物のひとつです。狭いスペースで、多くの家族が隣り合わせに暮らすこの長屋は、住民同士のコミュニケーションが密で、「向こう三軒両隣」という言葉のように、隣人同士での助け合いが大切にされていました。隣人との強い結びつきがあったからこそ、平和で穏やかで、活気がある江戸時代の庶民文化が誕生したのだと思います。

市場と商業の活気

江戸の市場は、賑わいと多様性に満ちていました。代表的なものに、魚を中心に扱う「日本橋の魚市場」があります。この市場は、今の築地市場や豊洲市場の前身となるもので、新鮮な魚介類が江戸の各地に届けられていました。また、「青物市場」と呼ばれる野菜市場や、米を扱う「米相場」などもあり、江戸は日本各地から集まった商品であふれていました。

商業が活発になる中で、「為替」と呼ばれる金融システムも発達し、商人同士の取引は現金ではなく手形で行われることが増えました。これは、現代の銀行システムの基礎となったもので、江戸時代の商人たちの知恵が現代にも生き続けています。

大名屋敷と武家の町

江戸のもう一つの大きな特徴は、将軍を支える大名屋敷の存在です。江戸には、日本全国の大名が「参勤交代」により居住するための屋敷が点在しており、これらの屋敷は江戸の町の大部分を占めていました。屋敷は広大な敷地を持ち、庭園や池が配置されていることが多く、現在も残る日本庭園にその影響を見ることができます。

大名屋敷の周囲には、武士たちが暮らす町が広がり、江戸時代の治安維持に大きく寄与していました。武士たちは、江戸城の警備や町の秩序を保つ役割を担っていました。

交通の要所「江戸の橋」

江戸の街は、川が多く流れており、それに架かる橋が交通の要所となっていました。特に有名なのが、日本橋です。日本橋は、五街道(東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道)の起点であり、全国からの物資が集まる物流の拠点でした。日本橋から始まる道は、地方と江戸を結び、旅人や商人が行き交う風景が広がっていました。

また、浅草などの商業地にも多くの橋が架かっており、舟運が江戸の経済を支えていました。これらの橋を渡り、江戸の商人や庶民たちは、日々の生活を楽しんでいたのです。

 

地元の昔の街や村をたどってみましょう!


江戸時代の街並みをたどると、そこには計画的な町割りや商業の活気、武家の存在感、そして庶民の知恵と楽しみが詰まっています。江戸は単なる歴史の一部ではなく、現代の私たちの暮らしや文化にも大きな影響を与えてきました。今回は、江戸の街をたどってみましたが、あなたのお住まいの街や村は、昔はどんなだったでしょうか?昔の街並みと今の街並みを比べてみると、新たな発見ができるかもしれません。ぜひ、お住まいの昔をたどってみて下さい。


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