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【キングダム】廉頗軍まとめ [旧趙三大天・天下の大将軍・戦の大天才]【趙軍】

祖国を追われた悲劇の英雄 生ける伝説廉頗徹底解説

王騎ら六将を擁し戦神と呼ばれた昭王率いる苛烈な時代の秦の猛攻を跳ね返し、今日まで趙が存在し続ける最大の功労者とも言える英雄 廉頗

度重なる亡命により数は減らせど未だに精強な将兵と影響力を持ちます。

廉頗軍とは

廉頗軍はかつて趙三大天の一席を預かった大将軍 廉頗率いる趙最強の軍ですね。その力は秦六将 白起・王騎連合軍を相手に2年間も長平を守りきった精強であり、当時の趙軍主力の一角を務め趙軍二番手と目されていた楽乗軍に圧勝したほど

残念なことに新たに即位した悼襄王とは馬が合わず不合理な命令により決裂し亡命という形で趙を去ってしまった不遇の英雄です。

もしもそのまま趙へ留まり李牧と手を組んでいたならと考えると恐ろしいですね。

所属武将

大将 廉頗

旧趙三大天にして生ける伝説の老英雄 廉頗
その強さは新趙三大天の李牧をして未だに中華に廉頗に勝てる者はいないとまで言わしめたほど
そんな伝説の英雄廉頗を筆頭に彼の脇を支えるのが幹部の廉頗四天王です。

廉頗四天王は一人一人が各分野に卓越した四人の将軍です。

廉頗四天王 介子坊

四天王筆頭の介子坊は廉頗に匹敵する破壊力を持ち単独でも百勝以上挙げている重量級の豪傑です。

廉頗四天王 姜燕

姜燕は中華十弓の一人にして圧倒的な攻めの強さを誇る将軍です。十弓ならではの常人の倍の飛距離を飛ばす矢を用いて離れた部隊へと合図を送って自在に操る部隊指揮の天才ですね。

元々は小国の将で、当時は廉頗と五分に渡り合っていた過去を持つ。


廉頗四天王 玄峰

廉頗軍の頭脳である玄峰は廉頗の軍略の師であった傑物です。かつては趙軍総司令を頼まれたこともあり全盛期は李牧並の知略を誇っていたのかも

廉頗四天王 輪虎

最後に廉頗の懐刀とも言える輪虎ですね。大一番では決まって決勝の大役を任される最強の突破力を持った廉頗の飛槍ですね。
その突破力は守備を固めた王騎軍を貫き王騎に一刀を叩き込んだほど


彼ら廉頗四天王は主従として硬い絆で結ばれており、出陣前には熱く力強い抱擁を交わすことでより一層の士気を高めています。

玄峰と輪虎が山陽戦にて討ち死にしてしまっており、四天王は半壊しています。
これら俊英揃いの廉頗四天王に加え指揮下には六将時代を荒らした直属兵がいます。

戦い方と強み

廉頗軍の戦い方の特徴と強みを考える上で重要になるのが四天王の存在ですね。彼らは長年廉頗に付き従っていたことで廉頗の軍略や意図を理解しておりその上で各々が指示を待たずして自律的に現場で的確な動きをできるので、廉頗のすぐそばで控える必要がなく広範囲に戦を描くことができます。

四天王が全員猛将という訳ではなく、それぞれ異なる系統の将軍だからこそ、敵対する軍の相性が悪いと見ると戦場を交換できるなど四天王同士で最適化を図ることができます。

しかし、大将 廉頗の気質からか四天王も攻め偏重の者が大半で廉頗軍は全体的に攻撃重視な軍と言えるでしょう。

とはいえ、長平の戦があったように一度守りに回れば白起・王騎を相手に長期間守り抜くという堅牢さも持ち合わせています。

この点、李牧軍は守りに偏りが見られますので廉頗軍のほうが格上とみえます。

廉頗軍の弱点

趙国在籍時で考えると弱点らしい弱点は見当たりません。しかし亡命したことにより兵たちから信頼されることからは遠ざかります。
魏人は生真面目な気質から廉頗の指示に従っていますが廉頗が趙兵を率いたときほどには力を発揮させる事はできなかったでしょう。
楚への亡命後は戦場からも遠ざかり、出陣することもありません。

国内での評価

廉頗軍の国内での評価は在籍した国により大きく異なります。

趙 ⇒ 三大天として英雄

魏 ⇒ 信頼を得られず敗戦し国外追放

楚 ⇒ 客将として留保されるも出番は来ず


こうして廉頗軍を振り返ると最盛期は間違いなく中華最強の一角でしたよね。
いつかまた成長した信との再戦が見てみたいです。

こんな展開が見たい。こんなのも気になるなどありましたら是非コメントお願いします!

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